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牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
伝道師 野田 祥(のだ しょう)
説教

■弟子の叱責 主イエスの義憤
人々が子どもたちを主イエスのもとに連れてきました。「この子にどうか触れて頂きたい」「手を置いてこの子を祝福していただきたい」といった、こどもの幸せを祈り願う素朴な思いです。ところが、主イエスの弟子たちは、この人々を叱りつけました。エルサレムへの旅を続けて疲労のたまっておられる主イエスに配慮したのかもしれません。「主はいちいちあなたがたを相手にするほど暇ではないのだ」と追い返そうとしたのです。あるいは、すべてを捨てて主イエスに従っている自分たちと祝福だけを求める人々との間に一線を画するような弟子としての特別意識が働いたのかもしれません。
いずれにせよ、弟子たちなりに、主イエスのために、主イエスに代わって取った行動であったのでしょう。ですから、主イエスから感謝され、褒められこそすれ、まさか激しく憤る主イエスを眼前にするとは微塵も思わなかったことでしょう。

■十字架へ進みゆく主イエス
弟子たちがここで人々を叱ったことは、主イエスにとって日常的の些細な出来事では決してありませんでした。激しい憤りをもって、真剣に弟子たちを諭さねばならないことだったのです。なぜなら、弟子の取った行動は、主イエスがこの世に来られ、そして今十字架につけられようとしていることの意味を根本的に台無しにしてしまうほどのことであったのです。
そもそも、主イエスは、なにゆえ一人の幼子として世に来られたのでしょうか。そしてなにゆえ、いま十字架の待つエルサレムへと向かおうとしておられるのでしょうか。それもこれも、すべての命に神の子としての祝福が告げられるためではありませんか。主イエスは、自らの意志でエルサレムに向かっているのです。それは、いわば自分から捕縛されにいくことなのです。なぜ、そんな自滅行為をとる必要があったでしょうか。もはや逃げ切れないと観念して自首したということでしょうか。決してそうではありません。主イエスは繰り返しご自身の死と復活を告げていました。エルサレムで祭司長や律法学者たちに捕えられ、嘲られ殺される、しかし三日目に復活するのだと。死と復活、それは、一人ひとりに寄り添う神の祝福を、死も墓穴さえも妨げることはできないということが証しされるためです。
エルサレムへと、十字架へと進みゆくために、こどもの祝福が妨げられるなどということは、本末転倒なのです。祝福すべき命を無視して通り過ぎた先にある十字架の死と復活など、なんの意味もないのですから。
この箇所は短いのですが、些細な箇所ではありません。主イエス・キリストがなぜ世に来られ、十字架に死なれ復活されたのか、その目的がここに表れていると言える箇所です。主イエスは、すべての命を祝福します。弟子たちや律法学者はおろか、死さえもそれを妨げることはできないのです。


■こどもたちを来させなさい
「子どもたちをわたしのところにこさせなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」。憤り、興奮して語っているのです。神の祝福が妨げられているのです。これはまさにこの時代に向けられた主の言葉でもあります。戦争、貧困、家庭、その中で多くの命が、とりわけこどもたちの命が、翻弄され、利用され、犠牲とされています。
「社会的に弱く小さな人たち」と言われることがありますが、大きな間違いがそこにはある場合があります。彼らが社会的弱者、小者とみなされるのは、彼らが小さいからではなく、そう言う人々が実に尊大になり、妨げとなってしまっているということに気付かなければなりません。わたしたちは、自分の都合で「あんな人たち」を心の中に生み出していないでしょうか。主イエスにとって「あんな人たち」はいません。

■こどものようであれ
「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」。
この時、こどもたちは自分の意志・力で主イエスのもとにやってきたのではありません。自分に祝福される資格、相応しさがあると思ってやってきたのではありません。ただ大人に連れて来られ、ただ主イエスに抱き上げられ、祝福されたのです。周りはそこに条件や資格や格差を作るのです。「あんな人」を作り、妨げとなるのです。しかし、主は言われます。「こどものようであれ」。平和を創り出す、神の国を求める、という時に、わたしたちが立ち返り、打ち砕かれるべきみ言葉です。

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