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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てにいたるまで、わたしの証人となる。」(使徒1:8)弟子たちにとって忘れることのできないイエスの最後の「肉声」。それは自分たちをイエスの復活の証人として聖霊によって世界の果てにまで遣わすという重たい使命でした。

十字架につけられた罪人イエスが救い主だと告げ、さらにそのイエスが復活して今も生きておられると証言することが、当時の状況の中で、いかに愚行であり危険の伴うことであるか弟子たちは承知していたことでしょう。とても無理ではないか、ためらい、戸惑う弟子たちは、共に祈る群れとなっていました。

破れを抱えた彼らは祈りの中で、マティアという弟子をイスカリオテのユダに代わる新たな使徒として「補充」しました。それは決してユダの存在を隠蔽、忘却するための工作ではありません。むしろ、彼らには決意があると思うのです。「もうユダの死を繰り返してはならない。今ここに喜びも苦しみも恐れも共に担い合いながら、受け入れ合いながら歩んでいく群れとなっていこう」、そう確かめ合うのです。

その祈りの群れに聖霊は注がれました。その日は、ユダヤ教の祝祭日。多くのユダヤ人がエルサレムを往来するのです。弟子たちにとって、この時ばかりは自分たちがイエスの弟子であることが知られないよう身を潜めておきたい時だったはずです。しかし、そのタイミングに聖霊は約束通りに降るのです。神様の備えて下さる時というものは、往々にして私たちが「いまはちょっと」と思う不都合な時なのかもしれません。何もかも整っていない状況、にも関わらず聖霊は働き始めるのです。実に札幌北光教会もこうして歩み続けてきたのではないですか。

さて、聖霊を受けた時、弟子たちは口々に神の偉大な業を語り出しました。そしてここから福音が、世界へと広がっていったのです。燃えるような舌、それは文字通り宣教への「口火」でした。注意したいのは、聖霊の働きというものが、暴風の音とか、炎のような舌という超常現象に確かめられるのではなく、彼らが新しい口(舌)を与えられて福音を語り出したというところにこそ確かめられなければならないということです。私たちが福音の喜びに生きる、福音の喜びを語り出すということがなければ、身の回りに起こるどんな不思議な出来事・現象も虚しいのです。

これまでの弟子たちの言葉は、つぶやきに満ち溢れていました。私たちも自分自身の語っている言葉に注意する時、まことに情けなく恥ずかしくなることがあります。なにより神様との関係において、私たちの舌はどういう状態でしょうか。しかし、神は新しい舌が与えて下さったことを聖書は物語るのです。その舌は、大言壮語せず、神を賛美したかと思えば、その同じ舌で人を呪うような言葉を語るようなことはしない(ヤコブの手紙3章)のです。皆さんの舌が、聖霊によって与えられた新しい舌であるならば、その舌は今や、神を賛美するための舌、隣人に裁きではなく愛と赦しを告げるための舌です。 「すべての舌が、イエス・キリストは主であると公に宣べて、父である神をたたえるのです。」洗礼・転入会式が行われ、三人の兄弟が信仰を告白されました。聖霊によって与えられた新しい舌で、「イエス・キリストは主である」と信仰告白されました。この方々を加えて私たち札幌北光教会は、共に喜び、共に苦しみ、共に「お帰り」と受け入れ合う群れとして、そして共に主に向かって新しい賛美の声を捧げる群れとして、主の御業を証ししていこうではありませんか。「聖霊によりて我ら一つ♪ 21−417」。

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