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羊飼いらが天使のお告げを受け、ベツレヘムの岩屋で幼子にまみえ、神を崇めて帰っていく場面。色々な解釈の仕方があろうかと思います。たとえば、このように読んでみてはどうでしょう。

一日の仕事を終えて帰っていく道すがら、羊飼いらは、ある岩屋で飼い葉桶に寝かせられている幼子に偶然出会いました。彼らは幼子の名を知りません。まだ名付けられていないのですから(ルカ2:21)。まして十字架と復活の出来事など知る由もありません。
けれど、飼い葉桶に眠るこの幼子の小さく貧しき様を見た時に、彼らはそこに自分自身を重ね合わせつつ、どのような命をも慈しまれる神の愛を温かく感じ取りました。日々、労苦や憂いを抱えて生きてきた人生の中に、言いようのない深い慰めを得たのです。この幼子は、生きていく希望を、喜びを、光を彼らに与えてくれました。
そして、羊飼いたちは今日一日のことを回想したのです。羊の番をしていたあの夜空を。そこは闇が広がっているばかりだったけれど、そんな漆黒の空にも、確かに光が輝いていたのだ!み使いたちによって大きな喜びが告げられていたのだ!天使の群勢の賛美が響いていたのだ!

私たちもまたこの羊飼い同様です。飼い葉桶の主イエスを思う時に、そこにいと小さな自分を、いと貧しく無力な自分自身を見つけるでしょう。それと共に、どれほどの神の愛という神秘がここに注ぎこまれているかを知ることができるのです。そして私たちもまた、自分の歩んできた自分の人生を振り返る時、そこには「恐れるな」、「あなたに大きな喜びを告げる」と呼び掛ける声が確かにあったのだということを知ることができるのです。

天使は言いました。「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。天使の告げた「今日」とは、羊飼いの置かれている具体的な現実のことです。彼らの今この時を知って下さっているということであり、今に至るまでの歩み全てを知って下さっているということです。先週から今週にかけて2名の信仰告白、2名の証しを伺う機会が与えられました。今日に至るまでの、それぞれの日々の中にあった主の導きを、共に感謝いたしました。また、2階ガリラヤホールには、皆の手形で作られたクリスマスツリーが貼り出されています。その手形の一つ一つに、これまで積み重ねられてきた人生があったことを思います。それぞれの昨日がありました。「もう歩けない」と思った日、どこに向かっているのが自分でも分からなく途方に暮れた日、「引き返したい」「隠れたい」と恐れたり、「やり直したい」と悔んだ日、そうした私たちの昨日を主は知って下さった上で、今日を生かす神の愛を告げて下さるのです。

ルカ福音書は「今日」を印象的に用います。主イエスは徴税人ザアカイに告げました。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから」(ルカ19:9)。また、十字架上で隣の罪人に告げました。「あなたは今日、わたしと一緒に楽園にいる」(同23:43)。羊飼い、徴税人、犯罪人、誰からも遠ざけられていたであろう彼ら、孤独や後悔、絶望や諦めを沢山抱えて生きてきた彼らの昨日を知り、そして「神に愛されてある今日」を告げて下さる神なのです。

また、主は弟子のペトロに言われました。「あなたは、今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないというだろう」(同22:34)この予告通り、イエスを重ねて否認したペトロは、主の言葉を思い出して泣き崩れました。けれども、主は同時にペトロにこうもおっしゃっていました。「私はあなたのために、信仰がなくならないように祈った。」あの時、主が祈って下さっていた。自分が信仰を失わないために、神の愛を信じて歩み続けていくために。主イエスの祈りの中でこそ昨日があったという事実こそが、やがてペトロを新たに立ちあがらせる力となったのです。

さて、羊飼いらは、飼い葉桶の幼子の名を知らぬまま帰って行きました。今日この場には、初めて教会という所に来たという方がおられるかもしれません。2000年の時を越えて、あの羊飼いたちに伝えられなかった名をお伝えします。イエス・キリスト。この方を通して神の愛が明らかにされたこと、あなたの今日を生かすこの方の愛が、あなたの中で鼓動しているのだということをお伝えします。

そして、ここにおられる方の多くは教会員です。まさに今日、洗礼を受けイエス・キリストの名を身に帯びて歩み出した方もおられます。しかし、皆さんもあのペトロのように、「イエスなど知らない」という生き方、主イエスを見失う生き方をしてきたことがあったでしょうし、これからあるかもしれない。
それでも、この幼子が、私たちのために祈り、私たちのために命を捨て、私たちのために再び生きて下さっていること、人生のどんな時にも、「今日、あなたに大きな喜びを告げる」「今日、あなたに救い主がおられる」という知らせが響き渡っていたことを信じ、マリアのように、すべてを心に納めて思い巡らし、そして、羊飼いのように神をあがめ、讃美しながら歩み出して行きましょう。クリスマスおめでとうございます。

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