札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >苦しみます?


クリスマスという日は、教会それぞれで準備の多さや大変さがあります。ですから、クリスマスはクルシミマス(苦しみます)、そう呼ぶ人も中にはいます。準備の中で無駄に苦しさを感じているならば、その作業を見直すべきですし、しかしその苦しさが、どうしても譲れないもののために生じるものであるならば、その労苦を労ってくださる神様を支えとして準備に臨みたいと思います。

ユダ王国の王様であるヨシャファトは、王国が攻め入られようとしているとき、主なる神様を求めるために祈りを捧げました。ただただ、神様だけを求める。この姿こそが信仰者の姿ではないでしょうか。
彼の祈りの最後は、「何をなすべきか分からず、ただあなたを仰ぐことしかできません」でした。
ヨシャファトは、敵の軍勢に対して迎え撃つことを選びませんでした。もし、王様であるヨシャファトが何をすべきか分かって決断を下していたら、悲惨な結果を招いたかもしれません。そうではなくて彼は、自分自身・民の力を放棄して、神様が為す最善を求めたのでした。

さて、ヨシャファトの祈りの中で、次のようにありました。「苦悩の中からあなたに助けを求めて叫びます。あなたはそれに耳を傾け、救ってください(9節)」。これは、主の祈りの1節に似ているように思えました。「我らを試みにあわせず、悪より救い出したまえ」。イエス様は、この祈りの中で、「悪より救い出したまえ」と言いましたが、「人が悪に打ち勝てるように、自分の力で悪を克服できるように」とは言っていないのです。イエス様は、「神様が私たちを悪から救い出してください」と祈りました。
そして、「悪より救い出したまえ」の前段階として、「我らを試みにあわせず」と祈っています。試みといわれると乗り越えなければならない課題や壁というイメージです。確かにそれも試みといえるでしょう。
しかし、試みとは、心や体が痛みを覚えるものだけではありません。イエス様が受けた試みを思い返してみましょう。イエス様は、荒れ野で40日間の断食を含めた修行をしていました。そこにサタンが現れて、空腹のイエス様に、石をパンに変えることを勧めたり、サタンを拝むならば地上の全てを支配させようと、迫ったりしました。ここでの試みとは、人間にとって心地よいものによって、あるいは理想を充実させることで、神様の存在を忘れさせるものともいえます。すると試みの本質は、「こんなにも自分が苦しんでいるのに神様はなんにもしてくれない、神様などいない」と思わせる顔をもっていたり、あるいは、自分の思いや自分の都合を生きる中心にすることで、神様を忘れさせたりする顔も持っているのではないでしょうか。

ところで、イエス様が出会った人々は、神様無き苦しさの中に置かれていた人々でした。イエス様は、生きて行く中では苦しみや悲しみが当然あることを、そのまま事実として受け入れさせました。しかしそれだけでなくて物事の本当の姿に気づくようにも促しました。イエス様が病人を癒やしたとき、癒やされた人々はこれからの人生の中で別の病を患うときに、これまでの病の時でも新たな病の只中でも、神様は常に慈しみの眼差しを注いでくれていることを知らされました。あるいは死んだ人を生き返らせたときも、生き返った人々はその後、寿命を全うしたときにまた死ぬことになります。そこでは、人の命は神様が捉えてくれていることを伝え、愛する人を喪って失意のどん底に落ちてしまった人には、神様が憐れみを向けていることを伝えました。
これらはすべて、苦しさを抱えている今でも神様が共にいて支えてくれている、神あっての苦しさが真実であることを伝えたのでした。
ヨシャファトが、「あなた(神様)を仰ぐことしかできません」と祈りましたが、私たちも神様のほうを見る眼をいつももっていたいものです。試みによって私たちを神様から引き離そうとするすべての悪から、私たちを救い出そうとする光だけを求めたい。
12月3日からアドヴェント、待降節が始まります。救い主の誕生が近づいていることを覚える期間です。神様の救いが、私たちに近づいてきたということであり、神様自身が私たちに近づいて来てくださったということでもあります。私たちもまた、神様を求める姿勢によって、神様に近づいていきましょう。

前のページに戻る

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について