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>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >ともし火を高くかかげよう


2000年前の人たちは、経験的に闇の中に輝くともし火の力を知っていたでしょう。ですから、イエス・キリストがこの世界に来てくださったという喜びの知らせを「ともし火」と表現しました。16節で語られているのもそのことです。

ともし火を、隠す人はいないはずだ、人に見えるように燭台の上に置くだろうという、一見、当たり前のことを述べているようですが、ここにはイエスの当時の社会に対する批判が込められているというのです。

「ともし火」を隠している人たちが存在していると指摘したのです。ともし火は神のみ旨だったに違いありませんが、本来神のことを人々に語るべき大祭司たち、ファリサイ派や律法学者たちは、その神の愛を人々から隠してしまっていたからです。

ともし火と電灯は決定的に違います。「風前のともし火」という慣用句が表しているように、ともし火は消えるかもしれないという可能性をはらんでいます。そしてそれが、当時の教会の状態でした。厳しい迫害の中で、直弟子たちが倒れていき、死んでいく。そういう状況の中でこの福音書を書いているのです。福音は(教会)は文字通り風前のともし火だったのです。歴史の風の中で消えていく可能性を感じさせるくらいに弱い、小さな存在だったと言っても良いでしょう。

しかし、その迫害の中でもルカが確信しているのは、風前のともし火のように弱い存在にうつるかもしれないが、福音こそが闇の世の中に輝くともし火であるということです。このともし火はやがて人々の前に燦然と輝くものだという確信です。ともし火は燭台の上で輝き、人々に公に示されるのです。

「ともしび」と題された物語があります。ともし火を守ってエルサレムからフィレンツェへの旅をしたラニエロという主人公が、「ともし火を守り抜く」という経験の中で、福音の光によって変えられていくという物語です。

このともし火は、ラニエロによって運ばれてきましたが、ともし続けたのは神だったのです。そして、ラニエロはともし火を運ぶことで、「ともし火」をともし続ける力の根源は神にあるという真理に気づかされたのです。ラニエロのすることは、ともし火をの力を信じ、人々に掲げ続けていくことなのです。

だから、ともし火は、つまり福音の言葉は「どう聞くべきか」が大事なのです。「ともし火」自体が問題になるのではなくて、それをどう受け止めるかという私たちの側の問題なのでして、それをルカは「どう聞くべきか注意しなさい」と語っています。

福音を聞くときに私たちの態度、それは「けっしてあきらめない」ということです。

ジャマイカのボブ・マーリーは「レゲエの王様」と呼ばれていますが、彼は音楽の力で戦争を止めようと思っていた人でした。ジャマイカでは長く2大政党が血生臭い紛争を繰り返して人々を戦いに巻き込んでいました。その中で、ボブ・マーリーは「一つになろう」と呼びかけ続けていました。

銃撃を受けたときにも「悪い奴らは休まない。だから僕も休まない」といって平和集会でのコンサートを続けました。やがて、彼は自分のコンサートに2大政党の党首を呼び、壇上で握手をさせたそうです。

ともし火は、この世界の中では本当に小さく、もろく、か弱いものに見えるのです。福音がそうであるように、愛や平和も「ともし火」のような存在です。時代の強風の中におびえるような心境になることもあります。でも、私たちはあきらめてはいけないのです。ともし火をかかげ続けるのです。神は愛であり、その愛こそ、もっとも偉大なものであることを掲示されているのですから。その愛が人々の間で高く掲げられる時が来るのです。やがてこのともし火が、愛と平和が世界を包み込むのです。

今日は12月8日です。1941年12月8日、日本は真珠湾を攻撃し太平洋戦争を開始しました。そして同じ日、レーン宣教師夫妻は軍機保護法違反のえん罪で逮捕されました。奇しくも7日未明、特定秘密保護法が強行採決によって成立しました。時代は暗さを増しています。けれども、だからこそ、私たちはともし火をいっそう高くかかげようではありませんか。あきらめないで、粘り強く、そして希望と信仰を持って、愛と平和のともし火をかかげ続けていこうではありませんか。

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