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ある日、主イエスはご自分に従う人々の中から72人を任命して各地へと福音宣教に遣わすことにしました。選ばれた72人は、二人一組となって町や村に赴きました。具体的にどの町村に行ったのかはもはや知る由もありませんが、注目したいのは1節の言葉です。 「主は、ほかに72人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に…」。主イエスは目的地も示さず、適当に送り出したのでなく、やがて御自分が行くつもりの町や村へと、いわば先遣隊として彼らを送り込んだのです。

札幌北光教会は1896年創立ですが、その前年1895年9月に聖書講義所が設立され17人がメンバーとなり、翌年10月4日に教会設立式が行われました。私が以前おりました旭東教会にも長い前史があります。1881年に最初の講義所が設立されてから教会創立まで約22年という試練の歳月を要しました。真言宗別格本山である西大寺を中心とした町の中で、天皇中心の国家主義思想が台頭する中で、講義所の活動は「狼の群れに羊を送り込むごとく」困難でした。耶蘇教に対する誹謗中傷、投石などに遭い灯火が消えかかりました。やがて出来た二つ目の講義所に招かれた石原甚三郎伝道師は、伝道の傍ら信徒が経営するマッチ製造をしながら生計を立てていましたが、結核のため31才の若さで亡くなりました。しかし、その後も信徒たちや全国の牧師、宣教師らの応援が地道に続けられ、ついに1903年旭東組合基督教会が設立されたのでした。教会創立、それは「あの町にいこう」と心づもりをしておられた主イエスが確かに来て下さった出来事です。「キリストの体」としての教会がその町に現れたという意味において。教会の立つところ、それはすべて主イエスが行くつもりの町なのです。教会は「この町に主が共におられる(インマヌエル)」という喜びを告げ知らせる存在なのです。

さて、主イエスは72人を派遣するに先立って伝道の心得を伝えています。なんと「財布も袋も履物も持って行くな」「途中で誰にも挨拶するな」というのです。伝道のためには色々なツールを揃えた方が良いと思われます。聖書・讃美歌を揃え、ホームページやフェイスブックで情報発信し、あるいはご近所には毎日愛想よく挨拶をした方が良いと思われます。でも主イエスは「何も持っていくな」「誰にも挨拶するな」と。それは「小細工なし、ただ福音一本で臨め」と言うことなのでしょうか。続く7節にこうあります。「誰かの家に泊って、そこで出されるものを食べ、飲みなさい」「家から家へと渡り歩くな」。つまり、家から家へと愛想よく挨拶しながら渡り歩くのではなく一つの家にとどまって、そこで逐一厄介になりながら伝道せよということではないでしょうか。家の人に、自分の表裏一切を見せながら、そうしてお互いを理解していって初めて伝道はなされるのだ、と。

あるいは、また主は10節でこう言われました。「町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落して、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』」。福音の真理を語らずして、自分の都合が悪くなったからといって、このような「裁き」の台詞を口にすることは許されないでしょう。つまり、「全存在を注ぎこむほどに福音を伝えよ、神の国が近づいたことを告げよ」と、伝える側に対する厳しさがここにはあると思うのです。

さて、72人は無事に帰ってきた時、喜びにあふれていました。それは主イエスの名を使うと、驚くべき出来事が次々と起こり、伝道活動が成功したと思われたからです。しかし、そんな弟子たちに主イエスは「喜んではならない」と告げました。そして「あなたがたの名が天に記されていることを喜びなさい」と教えたのです。それは、「あなたの名前はちゃんと天国の表札に記されているから安心しなさい」ということではなくて、「あなたの名を天の神が御心に留め、御業のためにあなたを用いて下さったということをこそ喜べ」ということです。 伝道が成功したとか、効果があったという結果に一喜一憂するよりも、たとえ順調に行かない時でも、あなたが御業のために用いられたこと、それこそがあなたの喜びではないかと言われるのです。これぞ最大の伝道の心得です。

わたしたち、朝起きた時に、「今日はあれやこれやをしなければならない」と思うよりも先に、「今日、神様はこの私をどのように用いて下さるのだろうか」そう考えてみると良いと思います。「思い立ったが吉日」と申しますが、「思い立ったが聖日」です。「そうだ!」と気がついた時、その時こそ先延ばしできない聖なる日です。聖なる主が、この私を用いようとしておられる時です。そこで思いがけない出会いと恵みが備えられているかもしれません。

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