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聖書は、読み込めば読み込むほど見事に深みにはまる書物です。読めば読むほど何が書いてあるのか意味が分からなくなる・・・。
しかし、わたしたちは、わかること、理解することに固執しすぎているのではないでしょうか。聖書には、答えではなく問いが示されていると思います。聖書の問いは、神様への応答を求めています。あなたは神様の呼びかけにどう応えるのか、という問いです。聖書を通してわたしたちは招かれています。

言葉には、無限の可能性が秘められています。言葉を伝えて、受け取って、だけでは終わりません。伝える側にも聞く側にも言葉のやり取りの後で変化を起こさせるものです。ですから、御言葉をひとつの理解や解釈ですぐに固めることはしなくてもよいと思います。言葉のもつ可能性、神様の言葉の豊かさは、時間をかけて広がっていくものです。
イエス様は、「理解しなさい」ではなく、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言っています。神様の御言葉は、イエス様がわたしたちを招く言葉を聞くことに始まり、受け入れていくものです。イエス様は、御言葉を種にたとえました。御言葉は、その中で神様がいつも生きて動いてはたらいていますから、「種」なのです。種は時間が経てば、根が出て芽が出ていつの日にか花が開きます。種がそうであるように、御言葉も変化します。すると、神様の御言葉は理解されてもされなくても、そこからさらに変化します。生きているからです。御言葉を頭の中に閉じ込めておくことはできません。自分の限られた知識を頼りに御言葉を理解するのでは無くて、「受け入れる」ことで、あらゆる状況でも御言葉が支えとなって、力となって、助けになってきます。

さて、たとえばなしの中で、種が落ちる場所は様々でした。このことは、種を蒔く人が良い土地以外にも、種を蒔いたということです。
道ばたというのは、御言葉を聞いても「わたしと神とは何の関係もない」と拒否している人々といえるでしょうか。しかしイエス様は、そういう人の所に出かけて、「あなたにも、神様はかかわり続けているんですよ」と御言葉を伝えています。また、石だらけの土地は、キリスト信仰をもつ故に起こる艱難や人間関係に苦しむ状況といえるでしょう。しかしそこでも御言葉を語っています。そして、茨だらけの土地は、この世のものによる誘惑をたとえたものとしています。そこにも、御言葉は伝えられています。
わたしたち人間は、神様のことだけを求めようとしつつも、この世から生じるものによって影響を受けてしまう弱さも抱えています。しかしイエス様は、その弱い部分にこそ、御言葉が蒔かれて、実をつけてもらいたかったのではないでしょうか。イエス様自身、たった独り、荒れ野(砂漠)でサタンからの誘惑を受けながら過ごした時期がありました。神様の言葉を蒔くイエス様は、命が育たない環境である荒れ野に留まっていました。つまりイエス様は、種が30倍〜100倍の実をつけるようになる良い土地にはいなかったということです。だからこそ、社会の中で荒れ野のような状況に立たされている人に、イエス様は御言葉をのべ伝えていきました。「ここにも、神様はおられる。あなたが生きるために愛を注ぐ神様がおられる」と。
それでは、種にたとえられる御言葉とは、なんとも無力なものなのでしょうか。そもそも、神様の御言葉とは、神様と言葉に切り離せるものではありません。神様が御言葉そのものになってわたしたちへと届いています。すると、種にたとえられる御言葉が無力になっているというだけではなくて、神様御自身が無力になられている、ということです。しかも神様が自発的に無力になられています。わたしたちとの共感のために。わたしたちから神様を引き離そうとする力に晒されるとき、神様もまた無抵抗に引き離される弱さをもたれます。信仰者であるが故の悩みや苦しみが起こったとき、神様も同じように悩み、苦しみ、渇きをおぼえられるのです。限りなく心にわき上がる欲望に支配されて、あるいは人間の思惑に取り囲まれて息苦しさを感じるとき、神様も実際に息の詰まる思いを味わっているのです。

イエス様は、わたしたちを30回、60回、100回、何千回、何万回も招いています。わたしたちは神様の御言葉によって招かれています。神様は御言葉となってわたしたちと共に生きています。共に喜び、痛みを共に負う神様が共に生きてくださっています。いつの日か、招きに心から応え、いま自分が生きていることを神様と一緒に喜び合えるときが訪れることを希望として、御言葉を聴き続けるのです。

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