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今日お読みした聖書には一人の悲しい男が登場して参ります。イエス一行は嵐のなか舟を出し、ゲラサ人の地方へと渡りました。ここは穢れた土地としてユダヤ人から避けられていた土地です。そこに墓場を住処としている男がいました。足かせや鎖で縛られていたということから想像するに、この男は人のなかで生きていくことを拒絶されて過ごしていました。そして石に自分の頭を強く打ち付けるほどに、深い悲しみと苦しみを抱えていたのです。

イエスはこの男をみて「汚れた霊、この人から出て行け」と言われると、この男は走り寄って来てひれ伏し、大声で叫びます。「いと高き神の子よ、この俺をどうするつもりなのだ!お願いだから、もうこれ以上俺を苦しめないでくれ!」この悪霊の姿はある意味異質な光景であるといえます。イエスに対して戦いを挑むのではなく「これ以上自分を苦しめるな」と言うのです。そして悪霊に向かって名を尋ねると、自分の名は「レギオンだ」と申します。レギオンとはローマ帝国の軍隊の名であって、一部隊6,000人で構成されていました。つまり、「我が名はレギオン。自分のうちにある苦しみ、汚れ、悲しみは6,000人に相当する。それほど大きく、行き場のないものなのだ。だからこの地からさえも追い出さないでくれ」と願ったのです。

今日注目して皆さんと分かちあいたいことは、イエスと墓場に住む男がどのように出会ったのかということです。前の箇所でイエスは弟子たちに「向こう岸に渡ろう」と言われました。向こう岸とはゲラサ地方のことです。言われるがまま舟を漕ぎだすと、激しい突風が起こり、死ぬかもしれないという経験をします。しかもイエスは墓場に住む男を癒やすとその地方に住む人々に不気味がられて「出て行ってくれ」と追い出されてしまうのです。つまりイエスは命を賭けるかけて、ただ一人、この男を癒すために嵐を越えて渡ってこられたのです。

どんなに私たちが暗い道を歩み、自分の命を喜べないような時にあっても、失意のどん底に立ち尽くしている時であっても、そこにイエス・キリストは来てくださるのです。イエスは墓に住む男に対して「名は何というのか」と尋ねます。名前とはその人の人格を表すものです。それは神が「私はあなたの名を決して忘れない。」という決意の現れでもあります。神は決して私たちを忘れることはありません。たとえ私たちが神を忘れようとも、神はあなたのことを忘れないのです。

その希望を与えられつつ、私たちはもう一つのメッセージを与えられます。それは今日の箇所の終盤で、墓に住む男がイエスに従いついて行きたいと申し出る場面です。癒やされた一人として、一緒に活動していきたいと願いますがイエスは違う道を示されます。「あなたの家に帰りなさい。」と言われました。この男に家はありません。家族からも見放されて生きてきた。なぜイエスはそんな酷なことを言ったのでしょうか。私は聖書を味わってみて、それがこの男に必要なことであるからだと気付かされました。きっと私たちにとっても必要なことです。私たちは神とだけ繋がっていれば良いのではありません。私たちが神に従って歩むならば、そこには縦の関係だけでなく、横の関係のなかで生かされていきます。つまり人の間で生きていくということです。人と生きていくことには簡単なことではありません。交わりのなかで躓くことがあります。しかし神は私たちに自分の遣わされた場所に帰って行きなさいと言われました。それは私でさえも神さまの器として用いてもらうためです。私たちが人生に絶望し、人間のなかで傷つき、そして自分さえも傷つけて生きてきたあの時に、誰かが神さまから託された働きによってあなたと歩んでくれたように。あなたのために祈ってくれたように。辛抱強く待ち続けてくれたように、私たちもまた遣わされていくのです。傷つき、途方にくれていた自分と出会うために、嵐を越えて探しだして下さる、泥だらけのイエス・キリストと出会ったように。「わたしの友よ、わたしはあなたの命を喜ぶ。」そう言って走り寄って下さるキリストに救われたように。私たちは何度でも遣わされていきます。キリストの器として、少しでもイエス・キリストと共に生きていくために、顔に泥を付けながら歩んでいきたいと願います。

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