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イエスの言動に苛立ちを募らせたユダヤ教指導者たちは、最高法院「サンヘドリン」を開催。彼らはひどく警戒していました。このままだと、イエスをメシアと信じ担ぎ上げた民衆が反ローマの騒擾をおこすかもしれない。そうなれば徹底的に叩きのめされることは必定。自分たちのユダヤ教指導者としての地位も特権も解体されかねない、と。指導者たちが恐れたのは、神様ではなくローマ帝国でした。その恐怖がイエスへの憎悪となっていったのでした。「躓きでしかないあのイエスを、どうしてくれようものか」と。
議長を務める大祭司カイアファが悠然と語り始めました。「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が、あなたがたに好都合だとは考えないのか。」(50節)
イエスを反ローマの運動のリーダーということで見せしめに抹殺すれば、民衆も沈静化するはず、そうなればユダヤ社会にローマの脅威が及ぶことはない、という公算でしょう。カイアファにとって、イエスは危険人物であるよりもむしろ偉大な犠牲者に見えたのです。
そうして彼らは神殿中心(宗教指導者の特権保持)のユダヤ社会を守ろうとしました。もはや、神殿とは、神を幽閉する場所でありました。

大祭司カイアファは、なにが神の前に正しいことかよりも、何が自分たちに得策であるかと、打算的な判断をしました。これこそが御心、聖書に基づく正義だと信じながら、実態として己の利権や保身に心捕らわれていました。私たちの中にもまたカイアファと同じような心が潜んではいないかが問われていることでしょう。自分たちに都合良く言葉をすり替え、書き換え、あるいは隠蔽し、人々を取り込んで利用する手法は、この世の中に満ち溢れています。
「原子力の平和利用」「地域発展」の名の下に、原発が立てられた地域では国と電力会社による支配構造が巧みに構築され、町民同士の修復しがたい分断が起きました。「平和利用」という言葉の実態は、「平和のための利用」ではなく、むしろ「平和の利用」です。何が正しいかではなく、何が特であるかという打算が決定的に問われたのがあの3月11日でした。「すべては統制下にある」の虚言でもって招致されたオリンピックが、本当に「平和の祭典」なのでしょうか。

「利心、休せよ」は、千利休の名前の由来です。人間の利心というものは、神の前に立ち止まること、そこで問い直すということを忘れさせます。己が名利のために休むところを知らない罪の現実に気づかされ、神の前に落ち着きをもって生きること、これは信仰者の生活の基本でしょう。それこそ受難節は、主の前に立ち止まる生活の日々です。利心、休する時です。十字架で大きく手を広げる主イエスの姿は、突き進むわたしたちの前に立ち塞がっているかのようです。
大祭司カイアファは、「一人の人間が民の代わりに死に、国民全体が滅びないで済む方が好都合だ」と言いました。自分ではなくあの男が死ねば良いのだという、身勝手極まりない発想です。しかし、カイアファは自分が気づいていない真理をそこで語っていました。彼は確かに、主イエスの十字架の死は、すべての人が罪のために死ぬべき死を代わって死なれた贖いの出来事なのだということを、どの弟子の口よりも先に告白してしまっているのです。奇しくも大祭司カイアファは、神の言葉を正確に取り継いだのです。どんな人間の謀も、最後に成し遂げられるのは、ただ主の御心だけであるということを。如何なる罪も、神の御業を妨げ、覆す事はできないのだということを、カイアファは証ししました。

主イエス・キリストが十字架に磔にされ、その面前で祭司たちがほくそ笑んでいるその時、そこには神の救いの御業が支配していました。同じように、わたしたちは毎週この十字架に「直面するもの」として招かれています。神に赦されたもの、救われたものとして「この十字架を見よ、そして忘れるな」と呼び掛けられています。私たちが礼拝に集うのは、ここにお得な情報、耳障りの良い慰めの言葉、好都合なことがあるからではありません。ただ神がその揺るがない愛をもって御心をこそ成し遂げられるという真に畏るべき事実に目を開かせるためです。
3月11日以来に経験された多くの悲しみ、嘆きがあることを覚え、またその一方で人間の愚かさ、貪欲さが繰り返されている現実を覚えながら、このような現実を見捨てることなく、また見限ることなく、その只中に立ち給う神がおられ、その御心を成し遂げようとされていることをこの十字架に確かめて、「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」と祈り用いられていく歩みへと踏み出していましょう。

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