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まどみちお作詞の童謡に、「1年生になったら」という歌があります。

一年生になったら / 一年生になったら / ともだち100人 できるかな
/ 100人で 食べたいな / 富士山の上で おにぎりを / パックン パックン パックンと

一年生になったら / 一年生になったら / ともだち100人 できるかな / 100人で かけたいな
日本中を ひとまわり / ドッシン ドッシン ドッシンと

一年生になったら / 一年生になったら / ともだち100人 できるかな / 100人で 笑いたい
世界中を ふるわせて / ワッハハ ワッハハ ワッハッハ

もし、イエス様に会うことができるなら、私はこの歌を聞いてもらいたいと思います。そして「イエス様、あなたが伝えようとされたこと。しようとなされたことは この歌のようなことではありませんか。100人の中で、40人だけがおにぎりと食べることは望まれない。100人で大地を駆け回り、帰ってくる時には99人だった。もう1人のことはどうでもいいとは思わない。個々の違いを持った誰もが笑えるような平和な世界を望まれていたんじゃないですか?」と尋ねてみたいです。
きっと「そうだよ。」と親しみのある言葉で答えてくれることでしょう。

イエス様が生まれたことを記念する日、それがクリスマスです。神さまが私たちに「イエスさまを」与えてくださった。この世に「光」を与えてくださった。日常も、生命も、友達も、教会も、健康も、神様は私たちに与えてくださった。神様に感謝します。そんな感謝の言葉が溢れ出るようなクリスマスを迎えたいと思うのです。しかし、私自身がこの1年を振り返って、どうも、そんな楽観的にはなれないのです。そんなに素直に喜べないのです。喜ぶだけでは、自分自身のなかに潜む何かを抑圧してしまうように思うのです。

神はイエスをこの世に与えてくださいました。
それなのに私たちは、神の御言葉をどのくらい真剣に聴いて行なっているでしょうか。
神は多くの恵みを与えてくださいました。
それなのに私たちは、満たされません。
神は愛を語り、赦しあうことを教えられました。
それなのに、私たちは互いの欠点を赦しあうことができません。
陽は昇りました。
それなのに、闇のなかに大地は横たわるばかりです。
先週、パキスタンの東部では、132人もの子供たちが学校にいて、銃で撃たれ、殺される惨事がありました。未来を生きる子供たちが、大人たちの政治的な理由で殺されているのです。
私自身に何ができるのだろうかと、考えると重たく、のしかかってくる現状を感じるのです。自分自信を吟味すればするほど、この世界は依然として重苦しいのです。どう生きていけばよいのか、何を語ることができるのか。勇気を失うことが起こります。
新約聖書の福音書の中に「ヨハネによる福音書」があります。現代の聖書学では、今朝、朗読した「ヨハネの手紙」を書いた人物とは、同じではないと考えられています。
しかし、「光、暗闇、言、真理」といった用語や文法が似ているために、同一人物ではなくとも同じ教会の背景を持った人物だと思われます。仮にヨハネ教会と呼ぶならば、この教会は、熱心さゆえに「危うさ」を抱えていたのです。どのような危うさでしょうか。

6節に、「神との交わりを持っていると言いながら、闇の中を歩むなら、それは嘘をついているのであり、真理を行っていません。」とあります。
8節には「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にありません。」

「神との交わりを持ちながら、嘘をついている状況がある。」というのです。
「自分を欺くような嘘があり、自分をよく吟味しない。自分の罪を認めない」者がいるというのです。
教会の中で、謙遜と寛容に欠けている者がいて、単純に白か黒かで表現する二元的な見方をする者たちがいた。自分たち自身の内なる影や闇を、過ちや罪を認めず、外にある他者に無意識に投影してしまう歪みを作り出していたのです。
そのようなことでは、聖書的な人間理解からも、イエスさまの十字架に生かされ、自らの十字架を負って生きる在り方からも離れてしまいます。
神の前では人は皆、同じ平面上にあって、この世というただひとつの地上があって、そのすべては神の垂直な次元に支えられている。上からの光に照らされると語るのです。

世の中の暗闇に圧倒され、私たちが希望を失っていても、神はクリスマスの出来事をもう一度引っ込めるようなことはされません。どんな1年を過ごそうとも、毎年、クリスマスが訪れるのです。
理不尽な日常をも打ち破る力が、私たちに訪れるのです。もう、クリスマスがなかった昔に戻ることはありません。旧約聖書の時代から約束されていて、救い主誕生の光が再び失われることはないのです。神は愛であることをやめることはできないのです。

神が神たる理由は、変わりません。神は愛であり、光であります。どんなに私たちがひとり取り残されていると思っていても、私たちを包んでいること、共におられることに変わりはありません。私たち一人ひとりの姿を見つめ、憐れみと慈しみの目を向けて下さっていることに変わりはありません。

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