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9章1〜6節に12人の弟子たちを派遣する物語が繰り返されているような箇所です。なぜ12人から72人に増えて弟子派遣の物語が語られたのでしょうか。それは、ルカが教会の物語を書きたかったからではないでしょうか。

ルカ福音書が書かれたのが紀元80年代は、十字架の出来事から50年の時間が経っていたということで、パウロも死に、直弟子たちも死に、いわれていたキリストの再臨も起こりませんでした。ユダヤ教から憎まれ、ユダヤ人から仲間はずれにされ、ローマ帝国から敵視され、一般の人からは偏見を受ける…迫害や批判の危機の中で、教会には「自分たちは何者なのか」という問いが生まれていたのでしょう。そして、その戸惑いの中で、教会は自信を失いつつあり、宣教の力が削がれていたのです。

その状況の中でルカはその教会に向けてルカ福音書を書き、使徒言行録を記したのです。12人に続いて、72人の物語が書かれるのは、ここに教会の物語を書こうとしているのです。

その視点でみていくと、この弟子の派遣の物語の中で、特徴なのはむしろ1〜3節です。

まず、「ご自分がいくつもりの」とあり、わたしたちは主に派遣されるのですが、「私たちは神に選ばれて、イエスに任じられて、イエスに遣わされて」いることです。「行きなさい、わたしはあなたを遣わす」(3節)と言うわれています。

礼拝の最後に派遣と祝祷というところがあります。「行きなさい、わたしはあなたを遣わす」はわたしが、札幌北光教会の礼拝においてずっと使い続けている派遣のことばです。

私たちはこの世界にキリストを信じるものとして、遣わされていくのです。自分一人ではありません。そこには、キリストが共にいてくださるのです。とても自分一人の力では立ち向かえない、そんな状況もあるに違いありません。

イエスは弟子たちを派遣されるときに、必ず一人ではなく、二人で派遣されたのです。

大変な事態が起こってきたとき、私たちは自分一人で解決しなければと躍起になり、孤立感を深めていきます。けれど、「あなたは一人ではない。」それがイエス・キリストの派遣の約束なのです。かならず助け手を備えてくださっているということです。

「収穫は多いが、働き人は少ない」とありますが、自分たちの手に余る収穫というのは、どんなに働いても対処できないという事態です。やらなければならないことが山ほどあるのに、そのことに取り組める力は自分たちにはないという状況なのです。課題の大きさ、自分たちの力のなさ、そういう現実に途方に暮れるよう事態なのです。

そんな時、「収穫のために働き手を送って下さるように、収穫の主に願いなさい」と言われています。つまり主に祈りなさいということです。主イエスは必ずその祈りに応えてくださいます。

けれども、次のことばを肝に銘じたいのです。「狼の群の中に羊を送り込むようなものだ」。狡猾で、力があり、俊敏で、残虐な動物の代表が狼でした。それに対して、羊は動物の中でももっとも弱いものです。

自分の無力さを感じたとき、我々は狼になることを求めます。自分を取り囲んでいるような狼の群れのような危機の中で、その狼を凌駕するような巨大な狼になる力を求めるのです。しかし、イエスは小羊として我々を遣わすと言うのです。

我々の力で宣教するのではありません。宣教するのは、神なのです。神は羊を用いて下さる方なのです。

物に頼るのではなく、人を頼るのではなく、富に頼るのではありません。平和を語り、平和に生きるのです。受け入れてくれたものにも、追い出されたものにも、語るべきメッセージは同じでなのです。「神の国は近づいた」。神の愛を行うために、ただそのために、力を尽くしなさいと言われているのです。それが羊の生き方なのです。

そんなことをして大丈夫なんですか。やっていけるんですか、いいんですか?こんな世知辛い世の中で、羊のような生き方をしていて、いいんですか?

いいんです!それがイエス・キリストの約束なのです。

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