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「救われる者は少ないのでしょうか」という問いが出されたのですが、普通は「どういう人が救われるのですか」という問いになるでしょう。背景に複雑な宗派争いがあったと考える聖書学者もおりますが、こと救いに関しては、数の多少ではなく、自分が救われるかどうかではないでしょうか。

イエスの答えの中で「狭い戸口から入りなさい」という短いことばは大変厳しい内容を持っています。

まず、「努めなさい」ということばなのですが、これは、格闘技や戦争で勝利のために、死にものぐるいの努力をするというニュアンスのことばです。戸口と訳されたことばは、ヨハネ福音書でイエスが「わたしは門である」と語っているのと同じことばです。しかも「狭い」には、「小さい」という意味の他に「障害物があって」という意味もあります。

いのちに至るわたしの門は様々な障害物によって隠されているから、懸命な努力をしなければ、わたしの門に至ることはできないです、だから「入ろうとしても、入れない人が多い」と語られたということなのです。

その意味を明確にするためにイエスは一つのたとえ話をします。

神の国には入れなかった人たちは、イエスのことを知らなかったわけではないのです。否、かなり親しく知っていて、飲食を共にしたというのです。そして、イエスの話を聞いたこともあったのです。それなのに、「不義を行うもの、立ち去れ」とまで言われて、彼らはイエスの門の中に入ることができなかったのは何故なのでしょう。

誰が天国に行けるのでしょうか。このように読んでいくと、よほど信仰の深い人しか、天国にいける人はいないということになります。

けれども救いとは、死後、天国にいくことでしょうか。たしかにそういう表現で表されることが多いのです。しかし、「救い」は死後だけのことなのでしょうか?救いは「永遠のいのち」とも表現されるのですが、それは、究極の勝利を象徴しています。つまり、生きていて、本当に大切なものを得たということではないでしょうか。今の生を「ああ良かった」と生きることですし、そしてそういう生があるから、死に際しても「ああ良かった」と言えるに違いないと確信できるのです。

この生において、自分という人生に本当に充足していくことができる。それが救いなのです。そういう意味では、「狭い戸口」というのは天国に行く門ではなくて、我々が「ああ良かった」と今を生きるための門なのではないでしょうか。

この世界でイエスの言葉を信じて生きるというのは、狭い戸口から入るようなものであるというのです。道が広く、門も広いというのは、そこがいかにも歩きやすく見えるということです。わたしたちは広い門を選んで生きようとするのです。

けれども、そのわたしたちの日常生活の実像はどのようなものでしょうか。悲しみがあり、空しさがあり、孤独があるのです。真面目に生きようとすればするほど、孤立し、馬鹿を見るような矛盾があるのです。その自分の矛盾の中で、弱さの中で、崩れ落ちそうになる自分をかろうじて支えている…それが、イエスの見ていた群衆の姿であり、それはわたしたちの姿でもあるのです。

この世界の中でいのちに至る門、イエスを見いだすこと、イエスの愛を見いだすこと、それは狭い戸口なのです。忙しい日々、プライド、怒り、良識、世間体など、わたしたちをイエスから切り離そうと障害があり、それらに隠されて見えなくなっている戸口なのです。けれども、ここにこそ命があるとイエスは語っているのです。

この社会の中にあっても、あなたたちは努力して、イエス・キリストという門を選び続けようと弟子たちに呼び掛けたのです。挫折するとき、行き詰まるとき、わたしの愛に留まり続けなさい、そこにいのちの道があるというのが、イエスの言葉なのです。

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