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3節から4節にかけて、主イエスは「ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。しかし、サマリアを通らねばならなかった。」と書いてあります。聖書の後ろの地図を見ますと、地理的に「あえてサマリアを通らなければならなかった」と記すことは不思議です。なぜなら、地図を見ますと、南のユダヤから北のガリラヤへ行くには、サマリアを経由する直線のルートが一番、近い筈です。しかし、その当時のユダヤ人たちは、直線ルートではなく、ユダヤから東のエリコ方面に行って、ヨルダン川沿いを北上し、ガリラヤに入るという別のルートを使っていたようです。
なぜなら、ユダヤ人とサマリア人は仲が悪かったからです。今朝の聖書個所9節後半にも「ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである」と書いてあります。旧約聖書の列王記を読みますと、もともとは同じ民族でしたが、歴史的な経緯があり、サマリア人とユダヤ人とは交わりを絶っていました。礼拝する場所も違い、論争もあったようです。そんなわけで、ユダヤ人たちはサマリア人を避けていたのです。ですから、ユダヤからガリラヤへ行く際に、サマリアを通る直線コースを使わなかったのです。

ところが主イエスはそうではありませんでした。4節に「サマリアを通らねばならなかった」と書いてあります。この「サマリアを通らねばならなかった」理由を、少し難しい言葉かもしれませんが、「神的必然」(偶然ではなく、神さまが与えた理由)があったと言う聖書学者がいます。神的な必然性、神がそのようにさせたと言うのです。
「神的必然」。振り返ってみて、皆さんにもそのようなことを感じるご経験、出会いがあるかも知れません。
主イエスと、水を汲みに来たサマリアの女が一対一で、出会う状況ができたのです。ここにも「神的必然」を考えることができます。主イエスとサマリアの女との間で、水をめぐる対話がなされます。「水を飲ませてください」(7節)という主イエスの言葉から始まります。サマリアの女は、ユダヤ人とサマリア人ということにこだわります。「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」(9節)。主イエスの口から「生きた水」(10節)という言葉が出てきます。それに対し、サマリアの女は「井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。」(11節)と言います。

そこで主イエスは言われました。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(13〜14節)。最終的には、サマリアの女が「その水をください」(15節)と言っています。最初は話がまったく噛み合っていませんでしたが、少しずつ話が噛み合うようになってきます。そして主イエスが最初に「水をください」と言ったのに、最後にはサマリアの女が「水をください」と言うに至ります。主イエスがサマリアの女に何と言われているかというと、14節にありますように、主イエスが水を与える。そうするとその水が泉となる。その泉から永遠の命に至る水が沸き出ると言われています。あなたの内に泉を持つようになる、そして決して渇くことがなくなると言われているのです。
人間が渇くのは「のど」だけではありません。「心が渇く」とも言いますし、「愛に渇く」とも言います。主イエスとサマリアの女の話は、「のどの渇き」の話から、「心」や「魂」の渇きへと変化していることが分かります。
そして、何よりもこのサマリアの女は、心や愛において「渇き」を覚えていたのです。
前回の礼拝説教の中でも触れましたが、私たちには、避けられない不幸、理不尽としか言いようのない出来事、それによって引き起こされる「心の飢えや渇き」は、神を信じる者にも、信じない者にも等しく、訪れます。
しかし、私たちが知っているのは、人間の「渇き」に対して、「慰めがある」ということです。
河野進という牧師がおられました。長い間、ハンセン病の療養所でも活動された方です。
詩人でもあり、幾つもの著作を出しておられます。「朝」という作品があります。

「朝」
朝が来ない 夜はない
春にならない 冬はない
晴天に消されない 雨雲はない
山頂につづかない 谷底はない
幸いにみちびかれない 禍(わざわい)はない
感謝に出会わない 悲しみはない
キリストに救われない 罪人はない
愛に席をゆずらない 憎しみはない

愛に渇く、心が渇くサマリアの女は主イエスに言いました。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」この女を満たす「愛」「恵み」との出会いも、また神の必然であったのです。

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