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イエスは口のきけない人を癒されました。これは誰でも「良いこと」として認めることであるはずで、人々は驚嘆したのです。

ところが、それを喜ばない輩がいました。律法学者たちはこのイエスの活動を見て、「あの男は悪霊の頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と論じました。

口をきけないようにする悪霊を追い出すということは、よほどのことでないとできないはずで、イエスがそれをしたということになると、イエスは自分たち以上の存在であることを認めることになってしまいます。それだけはあってはならないという思考から、でてきたこ言葉が「ベルゼブル」なのです。

この言葉はイエスの立場から考えると言いがかりも甚だしいものです。ここで展開されているのは、最初から悪意に満ちて、イエスを貶めようとの魂胆であり、イエスを否定する鉄のような意志です。

私が善意で語っているにも関わらず、その善意が相手に伝わらず、むしろ逆手にとられてしまって非常な悪意として捕らえられてしまったという経験は誰もがもっているものです。そんなとき私たちは自己弁護し、誤解を解いて、自分の善意を理解してもらおうと努力するけれども、すでに相手との信頼関係が崩れている場合は何をしても悪意としかみなされないのです。ついには誤解を解こうとする努力をやめてしまい、逆に相手を批判したり、非難したり、攻撃に転じるのです。善意が相手に理解してもらえないこと、それは本当に辛い経験だからです。

イエスもこのとき辛かったに違いありません。その人のことを考え、その人のためにと行った癒しを「ベルゼブル」と言われたのですから。しかし、こういう状況の中でもイエスは宣教の業を進められるのです。

つづくところで、イエスは「内輪もめをしていては国は成立しないのだから、ベルゼブルが悪霊を追い出すということは起こりえない」「もしわたしの癒やしがベルゼブルによるとしたら、あなたの癒しも同じ事になるだろう」と論理的な反論します。しかし、ここからがイエスのイエスたるところです。

20節で、イエスはこう言います。「しかし、私が神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」

「神の指」という言葉は旧約に2回でてきます。出エジプトの時にファラオの魔術師のことばとして「これは神の指の働きでございます」とあり、2回目は十戒で、十戒は石の板に神の指によって記されました、と書かれています。神の指とは人々を解放し、本当の生命を与えるものなのです。つまり、神の愛を表す言葉なのです。

つまり、イエスは「このことを私が神の愛によってなしているとすれば、神の国はあなたのところに来ているのです」というこの言葉を自分に悪意を持ち、自分を陥れようとしている人に対して語ったのです。

これは呪いの言葉ではありません。祝福の言葉です。そしてその事実に気づき、その愛を受け入れて生きるようにという招きの言葉なのです。

イエスは生きた道は苦難の道でした。その嵐の中で愛の光を灯しながら、歩み続けたのです。相手がどんなに汚い手を使っても、相手がどんなにひどい存在でも、それでもイエスは、黙々と神の愛を伝え、神の愛を生き続けました。神の指として生きて下さったのです。そこに、私は本当の強さを見るのです。そうです、この愛の方こそ、悪霊を追い出せる方なのです。

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