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「この道は、いつか来た道」と「母の日」
童謡「この道」。この歌は、札幌に住む人々にとっては特に馴染み深い曲でしょう。この詞は北原白秋が晩年に旅行した札幌の風景から着想を得て作りました。詞を送られた山田耕作は、この詞から、自分のことを心から愛し育ててくれた亡き母の手に引かれて歩いた子どもの頃を思い起こして曲をつけたそうです。
人生の道を長く歩き続けてきたある日、ふと何気ない風景から、昔が懐かしく愛おしく思い起こされることがあるでしょう。母に手を引かれ歩いたあの頃の光景、その時の心の温もりや安心。それは、どれだけ時が経過しても心の中で変わることのない大切な原点です。あの日があって、今の自分があるということに感謝して、また一歩を踏み出していけるような、そんな「いつか来た道」が心にあるならば、大きな幸いです。

「食」を通して主の復活を知る
主イエスはご自身の復活を弟子たちに現わす際、彼らが驚くような奇跡を起こして見せるのではなく、パンを裂いて手渡し、あるいは焼き魚を食べるという、ごく日常的な振る舞いをもって示されました。それは弟子たちにとって、どんな驚くべき奇跡にもまして、主イエスの記憶を呼び覚まし、そして今ここに主が生きておられるのだという事実を確信させるものでした。その姿を見た時、弟子たちは主に従って歩んだあの日々を思い出しました。そして、その道が今は昔ではなく、ここからなお続く道であるということ、十字架という出来事を区切りとして、主イエスとの新たな歩みが始まったのだということを実感したことでしょう。主がパンを裂くように、魚を食べるように、この私の歩みに共におられるということ、そして愛を込め、命を込めて関わり続けて下さるのだということを確信したでしょう。
教会は聖餐を大切にしてきました。エマオの村でパンが裂かれた時に、弟子たちの心の目が主に対して開かれたように、わたしたちもパンが裂かれる時、心の目を開かれて主イエスの死と復活の出来事を信仰の内に確かめるのです。そして、主が今日も私の主として最も近く、最も深く、愛を込め、命を込めて関わっていて下さっていること、この道を共に歩んで下さっていること、この私を遣わしておられることを確かめるのです。

祝福の手を挙げながら
主イエスは天に昇っていかれました。エルサレムからオリーブ山を越えてベタニアに至るこの道は、弟子たちにとって「いつか来た道」でした。十字架に掛けられるまでの一週間、主と共に毎日のように往復した道です。あるいは、主がオリーブ山で捕えられた時、見捨てて逃げ出してしまった時に必死に走った場所でもあったでしょう。弟子としての弱さや無理解を痛感しなければならないこの道を、いま復活の主と共にもう一度歩くのは躊躇もあったでしょう。
主はその場所から天に昇っていかれたのですが、その時、手を挙げて弟子たちを祝福しました。主イエスの手に刻まれた十字架の傷跡、それは逃げ出した弟子たちの弱さの証しです。主はその手を挙げ、弟子たちを祝福しながら天に昇っていったのです。祝福の手は途中で降ろされてはいません。それは、これからもなお弟子たちを愛し、赦し、祝し、共にあるという約束の証しです。

天と地をつなぐ道
世に来られた主イエスが天に昇っていかれました。それは主イエスが、天と地をつなぐ道となられたということ、そのためにこそ主イエスは世に来られたのだということが象徴されているように思います。主イエスは、福音宣教を始めるに際し、イザヤ書の言葉からこう語っておられます。「主がわたしを遣わされたのは、囚われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」(ルカ福音書4章)。
人生の悲しみ、怒り、空しさに囚われている人、行き詰まって光が見えなくなっている人、押しつぶされそうになっている人に、「あなたには道があるのだ」、「あなたをなにがあっても愛し抜く神がいるのだ」と解放を告げ、新しい命に立ちあがらせ、彼らの生きていく道となること、それが主イエス・キリストの世に来られた意味です。
そうして、主が身をもって人々に示した神の愛が、全世界に、片隅にまでくまなく及んでいる愛であることを告げ知らせるために、主イエスは天に昇り、全世界を御業の射程として聖霊によって働かれるのです。降誕の夜、天使が羊飼いに告げました。「恐れるな、わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる」。あの約束をいま現実のものとするためには天に昇り、聖霊を注がれるのです。
聖霊の風にのって、ふと自分の原点を思い起こす時、わたしたちは、あの躓きの時も、逃げ出したくなる時も、涙の時も、いつもそこで主の祝福の手に温かく守られていたという記憶を感謝の内に見出すことができます。そのようにして歩んできた「この道」があり、またここからもそのようにして歩んでいく「この道」があります。

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