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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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キリストを礼拝する。それは私たちがこの世で得た知識、富、栄光などをかなぐり捨てるほどの事柄です。
神の圧倒的な恵みを前にすれば、私たちが日常に囚われている事柄は、些細な事柄、むしろ無に等しい。
このイエス・キリストがお生まれになった日を記念する礼拝が、クリスマスです。

教会の暦で言いますと、アドヴェント第四主日に入りました。アドヴェントは日本語では「待降節(たいこうせつ)」と言います。文字通り、主イエス・キリストのご降誕を待つ。それがアドヴェントの意味です。子供の頃、アドヴェント・カレンダー作りをしました。アドヴェント・カレンダーは、クリスマスまでの日を数えるようにして待つというカレンダーです。毎日毎日、窓を開けて、クリスマス当日、すべての窓が開かれる。文字通りクリスマスを数えるようにして待ちます。このように、クリスマスには待つ楽しみがあります。

しかし、このアドヴェントは、もともと教会が古くから大切にしてきたラテン語の言葉でいうと、「到来」とか「来る」という意味でありました。「やって来る」ものです。
私たちはこの1年を振り返りますと、色々な出来事がありました。熊本の大震災、福祉施設の入所者を無差別に殺傷した事件など、世界には争いがたえません。
しかし、争いの地にも、悲しみの中いる人にも、イエスは「やって来る」のです。ひとりでいる人にも、罪深い人にも、忙しい人にも、疲れた人にも、私には神なんて必要ないと思っている人にも、イエスは「やって来る」のです。それが、アドヴエントのもつ元々の意味です。

私たちに与えられました聖書の箇所は、ルカによる福音書 第5章の始めの箇所は、シモン・ペトロという人物が出てきます。そして、シモン・ペトロにとっては、まさにイエス・キリストが「やって来て」くださった物語として考えることができます。

まず、シモンは漁師でありました。ゲネサレトという湖、別名ガリラヤ湖でありますが、この湖で漁をして、生計を立てておりました。しかしその夜は、一匹も魚が獲れなかったのです。魚を取ることを職業としている漁師にとって、昨晩からの仕事自体が無駄な骨折りだったと感じていたことでしょう。

シモンは、夜通し、漁をしていましたが、収穫はありませんでした。 陸地には大勢の群衆がいました。群集たちは、イエスの話を聴こうと、イエスを押しつぶさんばかりに押し寄せて来て、熱狂しています。シモンは積極的にイエスと関わりを持とうとしたのではありません。明らかに、後片付けをしているシモンとは正反対でありました。そんなシモンにイエスの方から「岸から少し離れるために、舟に乗せて欲しい」と声がかかりました。イエスは、シモンの持っていた舟に乗せてもらい、陸地にいる群衆と少し距離を置いて語り掛けました。
熱狂する群集とは違い、網を洗うシモンは、「舟を出してくれ」とイエスに頼まれ、ただ頼まれたから、それに応えたにすぎませんでした。意図したわけでもないのに、シモンは陸にいる群衆と比べると、すぐ傍でイエスの話を聴くことになりました。シモンにとっては、いつの間にか、神がすぐそこまで「やって来ている」という状況になったのです。

神さまが私のところにやってくる。このことは、教会の信仰にとって、とても大切なことであります。信仰、神を信じると言いますと、私たちの方から神のところに出向くことのように思います。たくさん本を読んだり、勉強したり、勿論、それらのことを全て否定するつもりはありませんが、それらの修行を積むことによって私たちから神の方に近づくのではありません。教会の信仰は、むしろその逆です。

今日のシモンの物語にありますように、神が向こうから来てくださる、これが私たちの神なのであります。
しかし、私たちはそのことに気付くのが、いつも遅いのであります。気が付いたらそこに神がおられた。気がついたらここにイエスがおられた。そして神さまが共にいて下さることを信じる。これが私たちの信仰なのです。

シモンがこのような経験をすることができたのは、主イエスが言われた言葉の通りにしたからにすぎません。「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう。」(5節)。この言葉を聞くと、イエスの母マリアが、イエスを身ごもっていることを天使から告げられた時の言葉を思い起こす人もいるでしょう。マリアは、天使の言葉を聞いて「お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1章38節)と答えました。
ある説教者が説教の中で、こう言っています。「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」、この言葉は、人間が口にし得る最も偉大な言葉である。なぜなら、シモンは次のようにも答えることができたからです。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。私は漁師、漁のプロフェッショナルです。網を降ろしても何も獲れるはずがありません。申し訳ありませんが、あなたの言葉通りにはできません」。

しかし、シモンは違いました。「あなたのお言葉ですから、その通りにいたしましょう」と答えるのです。神の言葉を聴き、聴いた通りに応答する。だからこそ、人間が語り得る最も偉大な言葉になると、その説教者は語るのです。
私たちは、今、アドヴェントを過ごしています。主イエス・キリストが私たちのところに来てくださいました。この世界で今もなお争いが続く中にも、悩み、悲しみの中にも、イエスは「やって来られる」のです。ひとりでいる人にも、罪深い人にも、忙しい人にも、疲れた人にも、「やって来られる」のです。
神はいつも私たちと共におられ、私たちに神の言葉を与えてくださいました。私たちはこの言葉にすべての望みをおきます。今も、私たちの只中に、イエスが共にいて下さると知るとき、希望が見出せるでしょう。この希望の内に、今週も歩みだしましょう。

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