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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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主イエスは、故郷ナザレへの会堂でイザヤ書を朗読しました。「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために。主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」そして、「この言葉は、今日、あなたがたが耳にした時、実現した」と言われました。
「主の恵みの年」との言葉に、その場にいたユダヤ人たちは、「ヨベルの年」のことを思い起こしたはずです。

イスラエルの民にとって7という数は、解放と安息を意味する特別な数でした。6日の間働き、7日目は安息日でした。その日は、すべての者が手の業を休めて、神への礼拝に集中する日です。自分たちが主に創られ、導かれている者であることを再確認する日です。「安息日」があれば、「安息年」もありました。7年目には、田畑を休ませ、負債は免除され、奴隷は無償で解放されました。その際、主人は奴隷に羊の群れとぶどう酒と麦を惜しみなく持たせました(申命記15:13)。そして、7年ごとの安息年を7回数えた49年、つまり50年目の年が、ヨベルの年です。この年には、羊の角笛が吹き鳴らされ、全住民に解放が宣言されるのです。皆が先祖伝来の地へ、家族のもとへ帰っていくのです。すべての土地は元の所有者へと返還され、売買契約が改められるのです。つまり、何もかもがリセットされるのです。なんのためにこのようなことがなされたのかと言えば、土地も、畑も、民も、家畜も、一切は、自分ではなく主のものであるということを忘れさせないためでした。ヨベルの年には、何もかもが元に戻る、すなわち主に立ち返るのです。

このお正月、実家で過ごされる方がおられるでしょう。懐かしい人と再会したり、ゆっくり休息を得たりされるでしょう。それもまた一つの「ヨベルの年」でしょう。そして何よりも、日曜日のこの礼拝の時こそ、主による解放と回復と自由を確かめる安息の時です。私たちにとって、礼拝こそ、主の前に立ち返り自分をリ・セットする時です。

讃美歌368番「新しい年を迎えて」を、1月の讃美歌として選びました。1節の歌詞に「なきものをあるがごとくに 呼びたもう神をたたえて♪」とあります。ローマの信徒への手紙4章を思い起こします。「死者に命を与え、存在していないものを呼び出して存在させる神を、アブラハムは信じ、(中略)彼は希望するすべもなかった時に、なおも望みを抱いて信じ、(中略)神は約束したことを実現させる力もお持ちの方だと確信していたのです。」(ローマ4:17以下)

私たちが信頼する神は、無から有を、闇の中に光を創られた天地創造の神です。そしてイエス・キリストを死より甦らせた神です。私たちはこのような方によって独り子を与えるほどに愛されているのです。そう信じる時に、私たちは、希望なきところに、なお希望を抱いて生きていくことができます。神は約束したことを言葉で終わらせず、実現させる方です。言葉が肉となったキリストの誕生は、その証しでした。必ず神は応えてくださったのです。無きに等しいようなこの私、土の器に過ぎないこの私、しかし神がそこに御業を表して下さる、その恵みに驚き、希望と讃美を携えて旅するこの一年としたいと思います。

主は、ナザレの会堂で人々に告げました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にした時、実現した」。私たちの現実の只中にも、主の恵みの年が告げられています。しかし、私たちは言うでしょう。「何が恵みの年だ」、「この世界は混迷を極めて呻き喘いでいるではないか」、「2016年が2017年になったところで、相変わらずの世界、相変わらずの私たちじゃないか」。そして、落胆や憂慮で暗鬱な気持ちになってしまいます。

しかし、まさにその闇の只中で、主は宣言されるのです。「今日、この言葉は実現した」。私たちが問うべきことは、主の言葉は本当に実現したのか否かではありません。「実現した」と宣言されているその恵みを見出そうとしているか否かなのです。

神は、たとえ宿屋が一杯であろうとなかろうと、飼い葉桶しか場所がなかろうと、そのようなことに構うことなく、なんとしても独り子を世に与えられたのです。その愛を、この世界が妨げることなど出来ないのです。

イエスを磔にしたことで勝利を宣言する罪人の間で、しかし、神は赦しを宣言しておられたのです。その赦しを誰も避けることは出来ないのです。

イエスが復活された時、弟子たちは、危害が自分たちにも及ぶことを恐れて鍵をかけた部屋に潜んでいました。すると、主イエスが彼らの真ん中に現れて、「あなたがたに平和があるように」と告げたのでした。こうして、主が示されたのは、神の愛を赦しが「今ここに実現している」という現実を、誰も妨げることはできないということです。キリストが私の内に、そしてまたこの人あの人の内にも宿っておられる。その現実に目を凝らしつつ私たちは歩んで参りましょう。

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