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今朝は置戸教会宣教協力礼拝の講壇交換にあって、ご一緒にマルコ伝1章16-20節を神の言葉として聞きたいと思います。これは弟子の召命物語として有名です。ガリラヤ湖畔でペテロたちがイエスに呼び止められる奇跡物語です。

舞台となるガリラヤ湖はパレスティナにある唯一の水がめです。ガリラヤは広いパレスティナにあって、唯一水と豊かな作物の実る麗しい地域です。さらにガリラヤ湖は貴重な蛋白源である魚のとれる漁場です。シモンとその兄弟アンデレはそこで漁師をしていたのです。そこに突然イエス様がやってきて、「君を人間をとる漁師にしよう」と迫られたのです。

これは突発的にペトロたちを呼び止めた物語として映りますが、おそらくマルコは、このエピソードを書くにあたってこれ以外の情報、すなわち伝承を持ち合わせていたに違いないと思われます。なぜなら奇跡物語の多くには具体的なイエスとの出会いの場面が描かれているからです。マルコはそれを削ぎ落してこのエピソードを書いたに違いないと思うのです。なぜならここに記されている弟子召命の物語の骨子は、イエスによるペトロたちの選びに集中しているからです。

イエスはガリラヤ湖畔を歩いているとシモンペトロやアンデレが湖で網を打っているのを見付け出し、「私について来なさい。あなたを人間をとる漁師にしよう」と言われたとされています。彼らは「すぐ網を捨ててイエスに従った。」とあります。この「人間をとる漁師にしよう」という用例を、旧約聖書全体の文脈でとらえると、大きな意味が出てくることに気づかされます。

この言葉について旧約聖書70人訳聖書を調べますと、エレミヤ書16章16節に出てまいります。ここはエレミヤ書の中でも重要な預言が語られている場面です。エレミヤという預言者が活躍した時代は、「バビロン捕囚」というユダヤ民族解体の悲劇を経験した時です。この16節は正確には14節から読まなければならないと思いますが、捕囚が起こった理由をエレミヤは、イスラエルのヤーウエに対する背信の結果という厳しい審判として告げるのです。

エレミヤは悲劇の預言者と言われ、民に厳しい預言を語りますが、それは同時に自分に対しての言葉でもありました。そういう厳しい言葉を発するエレミヤの預言の中に、イスラエルへの希望が語られる場面がいくつか出てきます。実はこの16章14-16節がそれなのです。ここは16節だけを読むのではなく14-15節の文脈から読まなければならないでしょう。それが「見よ、私は多くの漁師をつかわして、彼らを釣り上げさせる」にかかっているからです。

このところの「つりあげさせ」は口語訳聖書では「すなどらせる」となっていました。個人的にはそちらのほうが良いのではないかと考えますが、この「すなどる」「つりあげる」は正確には釣り師が魚を釣り上げるときに使う釣り針のことです。いわば「鉤」です。アイヌの人たちがサケを釣り上げるとき、魚を確保する「鉤」をイメージしたらよいかもしれません。あの鉤です。その頑丈な鉤かけて、選ばれし漁師によってつられるように、背信の民が神によって強烈に引っ張られている場面がこの真意です。そのエレミヤの言葉が、イエス様のペテロたちの選びの場面でこだましているのです。

神が裏切りのイスラエルを鉤かけるというたとえは、ハバクク書、エゼキエル書にも出てきます。これらはみな捕囚期に関わった預言者です。この預言者たちの精神をイエス様は弟子召命の場面で用いられているところに、聖書の深い洞察があるように思えてならないのです。

そのことを弟子及び私たちの姿に置き換えるならば、「人間をとる漁師にしよう」と言われたイエスの意図は、あなたを「鉤かける」。あなたは私を裏切るかもしれない。見失うかもしれない。しかし私はあなたを鉤かける。離さない。君を選ぶ。もう外さない。との福音が、ここに込められていると言えないでしょうか。

なぜならそれはこの後のペトロの動向からそう思えてならないのです。ペトロはイエスの1番弟子となりますが、7章の終わりまでは、弟子たちは重要な働きをしたり、宣教の大切な場面で登場します。しかし8章27節からはイエスの厳しい批判を受けるようになります。ペトロに至っては「サタン」呼ばわりされます(33節)。しかも最後の一週間では、3度の裏切りをし、イエスを見捨てます。そこにはマルコにおける弟子批判の神学が強く働いています。しかしこのペトロに向けられている視座は、裏切り者のために十字架にかかり、命を差し出すイエスへの福音理解が強く響いているように思えてならないのです(新約聖書釈義ではマルコの贖罪論についてはそう単純ではないでしょうが…)。すなわち、イエスの弟子の選びには、弟子というもは裏切るものだ。分かっていないという主義主張が込められているのです。

そこで、ポイントは「鉤」です。大魚を逃さない「鉤」です。神は私たちを鉤かけているのです。それがこの奇跡物語の軸になっているのではないでしょうか。私たちはそのように呼び止められるのです。そのあなたを主の宣教に用いられ、人間をとる漁師にする。イエス様はそう宣言してくださっているのです。

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