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レビという名のこの人物は、マタイによる福音書ではマタイと呼ばれ、さらにこのマルコによる福音書に記された12弟子の名前の中ではヤコブになっています。実際、複数の写本においては、アルパヨの子ヤコブと記されています。このように複数の名前で呼ばれた「レビ」ですが、大切なことは名前ではありません。彼の仕事です。つまり、レビが「徴税人」であったということが重要なのです。

徴税人というのは新約聖書の時代、ローマ帝国による支配のもとで、ユダヤの人々からローマに納める税金を集めていた人です。徴税人は集めた税金から不当に高額な手数料を取っていたとも言われ、徴税人であるという理由でユダヤの人々から軽蔑され、嫌われ、ファリサイ派の人たちや律法学者たちなどのユダヤ教主義者からは「罪人」と同様の扱いを受けていました。

主イエス・キリストは、そのような扱いを受けている徴税人レビを選び、弟子となって従うことを求められます。そして彼は直ちにこの召しに応じました。彼が弟子になることを望んだのではありません。主イエスの無条件の、そして一方的な選び、一方的な招きに応じることによってのみ、弟子が集められていくことが示されています。特にこの箇所においては「罪人」として彼が召されたということに大きな、深い意味があります。

続いて描かれているのが主イエスと徴税人・罪人との食事の場面です。弟子として選ばれたレビの家で食事の席が設けられました。同じ出来事について、ルカによる福音書では、レビは「自分の家で盛大な宴会を催した。」とされ、レビは自分が弟子に選ばれた感謝として主イエスを家に「招いた」という形でこの出来事を描き、レビの意志や自発的な行動が強調されているかのようですが、このマルコによる福音書では、この食事は、全くと言っていいほど、あくまでも主イエスの主体的で一方的な行動として描かれています。さらには「多くの徴税人や罪人も、イエスや弟子たちと同席していた。」という描写を通して、このように徴税人や罪人と食事をすることが、主イエスと主を取り巻く人たちとの日常生活であったということをわたしたちに伝わってきます。

食事の席を共にするということは「親しい間柄である」ことを示します。当時のユダヤにおいても、それは互いが心の通じ合う関係であることのしるしでした。主イエスが徴税人や罪人と共に食事をするということは、ご自身が彼らの親しい友であり、「そのような人たちの側に立つ」ということを公表する意味を持っています。ファリサイ派の律法学者たちは、それにたいして眉をひそめ、あからさまに主イエスを非難しました。律法学者たちは、宗教的に、特に律法を守ることには極めて熱心・厳格であり、日常生活と律法との結び付きに最大の努力を払い、律法の解釈と適用に全力を傾ける「信仰深い立派な人」とされていました。彼らの持っている価値観は非常に「常識的」で、決して間違った者たちではなく、むしろ「正しい人」なのでした。しかし、主イエスは、この「誰から見ても間違っているとは思えない価値観」に対して正面から否を唱え、それを拒否し、転換しようとされるのです。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」という主イエスの言葉は、この価値観の転換を端的に表す挑戦的なものなのです。

主イエスはガリラヤ地方で活動されました。神の国を語られました。ガリラヤという、都会から離れた周辺の地方の人々の生活の場で宣教されたのです。律法学者のように「都会」の「会堂」で語られたのではなく、人々の生活の現場で歩まれたのでした。その語る言葉も決して学問的・抽象的なものでなく、具体的な、そして日常の生活の中から出てくる言葉でした。主イエスはいつも、言わば一般民衆の生活の場で、そこに生きる人と接しながら、生活を共にしながら歩まれたのです。 徴税人レビが主イエスに従ったということや、主イエスが徴税人や罪人たちと一緒に食事をしたということが描かれる背景には、いつも民衆と共に生き、いつも疎外された人の側に立って行動しておられた主イエスの姿、生き方があるのです。

「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」というのは、罪人たちに対して語られた同情を示す言葉ではなく、彼らと共に歩むことに非難を向ける者に対して、「わたしは罪人の側からものを言い、罪人の側に立って行動する。」という姿勢を断固として表明される言葉です。主イエスは一緒に食事を「したかった」のです。彼らのことを「大好き」なのです。この主イエスの気持ちがそのままわたしたちにも向けられているのです。

さあ、どうしますか。「わたしに従いなさい」「今からあなたの家に食事に行きます」「罪人や徴税人も同席します」・・・・そして「あなたを愛しています」・・・・こんな主イエスと、しっかり付き合い続けましょう。

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