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ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母親が息子たちのために、主イエスにひれ伏し懇願しました。「王座にお着きになる時、この二人の息子が、一人はあなたの右、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」

主イエスは、母親とその二人の息子にこう答えました。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。」先週、先々週と、「イエスの変容」の箇所から説教が語られました。白く輝くイエスの姿を目の当たりにしたペトロは、「仮小屋を建てましょう」と、自分でも何を言っているか分からないことを興奮気味に衝動的に願い出ました。このようにペトロとヤコブとヨハネ、12弟子の中でも代表格の者たちは、何を願うべきか無理解でした。いえ、彼らを代表者として、およそ世の誰一人としてイエス・キリストを正しく理解することはできなかったのです。それゆえ、この方に何を願うべきかを正しく理解できなかったのです。

私たちには、若き日に抱く願望、老いた日々における願望がそれぞれあります。それらすべてを包む真の望み、どんな時にも私たちの生きる源である希望、また死ぬる時の希望とは何でしょうか。それが、これからエルサレムで、十字架の死と復活において明らかにされようとしているのです。

主イエスは、ヤコブとヨハネに尋ねました。「私が飲もうとしている杯を飲むことができるか」。二人は不用意にも「できます」と応えていますが、主イエスが飲む杯、それは王座に座って満悦に浸って飲む祝杯ではありません。それとは真逆の、十字架の死という苦難の杯にほかなりません。「この苦しみの杯を共に飲めるか」つまり「一緒に十字架で死ねるか」ということです。ご承知の通り、彼らはこの後皆恐れをなして逃げ出すのです。そして、その姿に私たち自身もいるのです。

聖餐式の度に、私たちはキリストの弟子として殉教の覚悟をもって、杯に与ったことがあるでしょうか。そのようなこと、本当は誰もできないのです。むしろ聖餐の杯があらわすキリストの血は、私たちの無理解、偽り、臆病、裏切り、権力や名誉への欲望という罪を含んでいます。この罪がキリストに十字架で血を流させたのです。けれども、その時、キリストは血をもって私たちの一切を贖ってくださっていたのです。その全く思いがけない恵みを味わう杯として、私たちは頂くのです。

私たちは、互いに血縁による家族ではありませんけれども、キリストの血による家族であると言えます。キリストの流されたその血によって、互いに神様としっかりと結び合わせて頂いている家族です。誰かがひれ伏して必死にお願いしてくれたからではなく、キリストの命を捧げた執り成しによって、私たちは今日、神の愛、赦しに全く飲み込まれているものです。ここにこそ、私たちが人生において本当の望むべき望みが、喜ぶべき喜びがあります。

この箇所の直前には、「ぶどう園の労働者のたとえ」が記されています。最後に雇われて一時間しか働かなかった者も、先に雇われた者と同様、約束の1デナリオンを受け取りました。先に雇われた者たちは、その事に不平をこぼしました。本日の箇所でも、10人の弟子たちが腹を立てていますが、要するにある者たちが特別扱いされていることに納得できないのです。

しかし、先に雇われた者たちに主人は言いました。「自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」(20章14節)「この最後の人のためにも、支払ってやりたい」そして、「あなたたちのことをも決して軽んじてなどいない」と言う、主人が全員に支払った「1デナリオン」が意味するものとは何でしょうか。それこそキリストの命のことではないでしょうか。

イエス・キリストは、多くの人のために、最後の一人のためにも、神が支払われた「代金」です。それも「身」という字を加えて「身代金」(28節)です。神様が、罪に囚われている(誘拐されている)私たちを、ご自分の手になんとしても取り戻すべく払った身代金なのです。

ゼベダイの息子たちの母親が、ひれふして願い求めた主イエスの右左の座に着いたのは結局、誰だったのでしょうか。その答えが十字架の上にあります。それは罪人たちでした。そこは栄光に満ちた場所であるどころか、もっとも惨めな場所です。誰も願い求めない、望みの欠片もないようなところです。しかし、実にそこにこそ、私たちにとっての本当の希望が告げられています。すなわち、罪人たちの真ん中に主イエスがおられたということです。罪人の真ん中で、「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」(ルカ23:43)と告げて下さった言葉に、愛が溢れています。今日、ここに神の国があるといえる私たちです。命掛けで愛され、赦されものとして、本当の希望を確かめ分かち合う2017年度を歩み始めましょう。

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