札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >神は我々と共におられる


マタイの降誕物語は、「イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった」と始まります。しかし、じっくりと繰り返して読んでいきますと、父ヨセフのことにばかり言及されていて、マリアやイエスについては僅かにしか語られていないことに気付かされます。マタイによる福音書を書き記した人たちは、ヨセフの身に何が起こって、何を感じ、どう行動したのか、そのことを大切に考えて、クリスマスという出来事について語ろうとしているのです。

ヨセフは、マリアの処女懐胎という不思議な出来事と直面し、密かにマリアと縁を切ろうと決心したと書かれています。ああそうなのか、と読み進めてしまいそうですが、これは、聖書の時代に生きていた人たちにとっては、非常にスキャンダラスな出来事です。この頃、未婚の女性が、父親もわからないようなこどもを身に宿すということは、間違いなく死刑に定められる大罪でありました。男性は厳しい罪に問われることはありませんでしたが、家庭を守ることができないという理由で社会の信頼を失うことが常識でした。

この時のヨセフの思いを想像するに、大きな揺らぎ、葛藤があったに違いありません。最愛の人に裏切られたと思い、その中で、深く傷つき、怒りや、悲しみや、疑いや憎しみに心をとらわれそうになって、苦しみに苦しみ抜いたのです。「なぜ、突然、このような目に・・・」そう思ったに違いないのです。それでも彼は、マリアを赦し、さらに結果を言えば、マリアもイエスも自分の家族として迎え入れていくという決断をしていくのです。なぜ、彼はこのような決断をすることができたのでしょうか。それを考えるには、神様の出来事の本質について、改めて思い起こす必要があります。

今日の礼拝をもって、私は札幌北光教会を離れようとしています。今感じていることは、牧師の異動とは植樹の作業に似ているということです。牧師を一本の木に例えるのなら、様々なことを分ち合って共に歩んできた一人一人の存在というものは、木が生きていくために不可欠な栄養であるのです。その栄養によって牧師は育まれて、元気をもらって、疲れても癒されて、そうして、牧師は立っていくことができる。異動とは、その良い土地を失うことと同じだというのです。その通りだと感じています。

けれども、それも御心と信じているのです。この教会で、皆さんと共に守る礼拝の中で与えられたのは、「もうダメだ」「これ以上はやっていけない」そう思った時、いつも、「神は我々と共におられる」この約束を信じさせてくれるような出来事と巡りあう経験でした。その体験の中で、「神は救いであり、我々と共におられる」インマヌエルの約束を、私自身、信じて祈り、いつどのような時も主が共にいて下さるということを信じる思いへ開かれていったのです。

ヨセフが、天使から命じられたのは、「イエス」という名前を、マリアの子に名付けることでした。こどもに名前をつけるという行為は、その子を自分の家族、体の一部として認めるということと同意であり、「イエス」という名前が持つ意味は、「主は救う」という意味でありました。ヨセフにとって、イエスの存在は「躓き」に他なりません。順風満帆に進んでいた全てを奪い去るような存在が、マリアの胎に宿るイエスなのです。しかし神は、そのイエスこそが救いであり、すべての人々を罪から救うと告げるのです。

いつも突然で、私たちの思いも願いも想像も超えて、意外な形で現れるのが神様の出来事です。クリスマスは、その神の訪れが私たちの人生の中に、思いもよらない意外な形で働いていく出来事だと繰り返し想起させるのです。しかし、時に、自分の存在が揺るがされるような信じられない経験を通し、よき知らせが告げられる時もあるのです。そのような出来事に直面した時、もし私たちが、「主は救い」であり、「神が我々と共におられる」という約束を本当に信じることができるのであれば、私たちは、また新たな祈りの中で、新しい一足を歩みだしていくことができるのです。

愛する教会と愛する皆さんのもとを離れることは本当に辛いことですが、この悲しみと涙の中に、主の御心が宿っていると信じて新しい歩みを始めます。場所は代われど同じ道です。共に祈りつつ、クリスマスの時を迎えてまいりましょう。

前のページに戻る

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について