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大学生時代、ネパールにもあるマザーテレサの創設した「死を待つ人々の家」で数日間ボランティアをしたことがあります。元はネパール王族の別荘であった場所を特に改修することもなく使用していました。回廊式の建物で、各回廊はカーストによって区分されています。幅2.5mほどの廊下の両脇にベッドが並べられ、そこに病人が大勢横になっています。ホスピスと言えば聞こえはいいのですが、劣悪な衛生状態です。ひどい床ずれの人、手足が壊死してしまった人が横たわり、自分の死を見つめつつ過ごしています。

「ベトザタの池の回廊」と聴くと、私はまずその光景を思い出します。エルサレム神殿北側にある「羊の門」の傍らにベトザタの池はありました。その池の周囲の回廊に様々な病気の人が大勢横たわっていました。そこもまた「死を待つ人々の家」であったと言えるでしょう。ここで38年も病を患い横たわっていた人と、主イエスとの出会いが生まれました。

以前遣わされていた岡山の教会で、教会員の葬儀がありました。幼稚園の園長をしていた40代半ばに脳卒中となり、それから実におよそ45年、後半は意識もなく、病床で過ごされました。亡くなる一か月前が、彼女の受洗70周年記念日でした。役員と共にお見舞いに伺い、彼女の耳元で伝えました。「Iさん、受洗70周年おめでとうございます」。けれども半世紀近くもベッドに横たわり続けてきたのです。受洗70周年と告げられて一体何の喜びがあるだろうか、「おめでとう」と言ったものの、その後に続く言葉が出てきませんでした。お祈りをするにも、直前まで何を自分は祈れるのか不安でした。しかし不思議と言葉は与えられました。受洗70年、それは若き日も、そしてベッドに長年横たわるIさんの傍らに神様が立ち続けていて下さった70年に他ならなった、ということです。そんな神様の愛が静かに注がれ続けた70周年であり、88年の生涯であったことを信じつつ、翌月葬儀を執り行ったのでした。

私たちも同じです。たとえ人生に希望を見いだせず、気力を失ない、あるいは寂しさ、悔しさ、痛み、孤独の内に生涯を終えていかなければならないとしても、それでも神がこの私を見ていて下さる、「この愛する子を失ってなるものか」と意を決していて下さるのです。

主イエスは、ベトザタの池で38年間横たわっていた人を「見」ました。「全能の神とは見る神」だとある人が言いました。「全知全能」の神と言われますが、全知全能とはどういうことでしょうか。それは「不可能など無い、たちまちなんでも出来る神」なのでしょうか。むしろ、全ての知を尽し、全ての力を尽して、私たちを必死で見出し関わり続けて下さる神であるということだと思うのです。人間にとって最も恐ろしいことは、自分が誰からも見られていないということ、誰からも忘れられているということです。しかし神は全能を尽して私たちを見出していて下さいます。

主イエスによって癒された人は、寝床を自分で担いで歩きだしました。その人にとって寝床(担架)は病気だった38年間を象徴するものです。しかし、病気だった苦い年月を捨て去るのではなく、その年月もまた決して失われた年月ではなく、神が自分をご覧になっていて下さった年月であったと信じるがゆえに、床を担いだのではないでしょうか。

私たちもまた、投げ捨てたい過去、取り戻したい過去があるかもしれません。悲しみ果てた経験、忘れ去りたい経験があるかもしれません。しかし、私たちは過去のすべてを担いで立ち上がり、すべてのことを神様が全能を尽くして見、愛の内に導いていて下さることを信じつつ、溜息から安息へと変えられて生きていきましょう。

床を担いで歩く姿から、十字架を担がれた主イエスの姿が重なってきます。十字架を担う主の姿、それは私たち人間の悩み、呻き、叫び、それら全てを主がその身に担って味わい知って下さったことの証しです。「どうして!なぜ!」と時に人生の破局的な問題に直面する私たちがそこでしっかりと担われているのです。

あるユダヤ人は、イエスが安息日にこのような癒しを行ったことを追求しました。これに対し主イエスは言われました。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから私も働くのだ。」神を我が父と呼び、安息日の労働を宣言したイエスに、ユダヤ人たちは強い殺意を抱きました。やがて、その殺意が十字架刑へと至りますが、十字架の死それこそが、主イエスの私たちのための「働き」にほかならなかったのです。2月10日から受難節です。神が独り子を遣わして下さった降誕の恵みは、十字架に直結しています。ここにキリスト降誕の目的があったということを、信仰の内に確かめ直し、主の働きに招かれた者として歩んで参りましょう。

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