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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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立派な衣服で覆われ、贅沢三昧の金持ちと、全身できもので覆われ、貧しさのどん底に横たわるラザロ。化膿した傷口を犬が舐めている光景は惨憺たるその状態を際立たせます。死後その立場は逆転します。ラザロは宴席にいるユダヤ民族の父祖アブラハムの傍という最も栄光ある席を与えられました。一方金持ちは、苛まれながら目を開けると、はるかかなたでアブラハムとラザロと思しき人物が宴を設けているのが見えるという失望が待っていました。

この物語が「金に執着するファリサイ派の人々」(14節)に語られているということがポイントです。主イエスはこう言われました。「人は神と富の両方に仕えることはできない」(13節)。しかし、彼らファリサイ派はこう自己正当化してしまうのです。「律法を遵守し熱心に神に仕える我々だからこそ、富はその祝福のしるしなのだ」。こうして彼らは、律法遵守を口実に、私利私欲におぼれ、あるいは尊大に他者を裁いていたのです。だから、主イエスは厳しくこう告げました。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ」(14節)。この言葉が今日の物語の後半(死後の世界)で展開されています。

死んだ金持ちがアブラハムに訴えました。「私の父の家にラザロを遣わし、兄弟たちが私のようにこんな苦しい場所に来ることがないように、言い聞かせて下さい」。せめて兄弟たちには、こんな絶望を味わって欲しくないので、ラザロを兄弟のもとによこして、良く言い聞かせて悔い改めさせて欲しいというのです。これに対するアブラハムの言葉が今日のメッセージの中心です。「お前の兄弟にはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるが良い」。<モーセと預言者>とは、モーセ五書(創世記〜申命記)と預言書のこと、すなわち聖書そのものを指しています。聖書のみ言葉に耳を傾けよというのです。しかし、それでも金持ちはあくまでラザロの派遣を求め続けました。なぜなら、自分の兄弟たちが、聖書のみ言葉などで心を動かされ、悔い改めるはずなどないと侮っていたからです。死人の復活といった奇想天外な出来事でも起こらなければ。これは私たち一人一人が、また教会の営みにおいても非常に陥りやすい過ちです。み言葉などよりも、分かりやすいしるし、手っ取り早い治療、即効薬のような、目に見えるものに誘われてしまう私(たち)がいるのではないでしょうか。

アブラハムは言います。「もしモーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返るものがあっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。」み言葉に耳を傾けること抜きには、たとえラザロが甦って現れたところで、そこに本当の悔い改めというものは生じないのです。生じるのは表面的な反省で、ただ「自分だけは滅びたくない」というどこまでも利己的な思いに過ぎないのです。主イエスの死と復活の出来事も、それが超常現象として理解されるだけならば、ただそれだけの話に過ぎません。そこに、「神に立ち返ろう」という「信」は生じ得ないのです。キリストの死と復活の出来事を前にして、私たちに求められるのは「見る」ことではなく「聴く」ことです。イエス・キリストという受肉したみ言葉を聴くことです。神は、イエス・キリストを通して残さず全てを語り切っておられます。「あなたを限りなく、赦し、愛し、そして生かす」と。このみ言葉を聴くということは、ただ理解し、納得するということではなく、この神の決断の深さへと入り込んでいく、そこに自分を根付かせていくということです。

「ラザロ」という名は、「主はわが助け」という意味です。この名が示す通り、彼は「主はわが助け」と信頼し、み言葉に存在すべてを傾けて生きたのです。いや、この物語中のラザロはあくまで架空の自分です。あなたこそこそが、実在する「ラザロ」として、「主はわが助け」と信頼して、み言葉に生きなさい、そう呼び掛けられているのです。

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