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今日の物語の舞台は、エリコという町です。エリコはエルサレムに行くために必ず通らなければならない町であり、多くの巡礼者たちがエルサレムに向かうために通っていきました。

群衆たちはイエス・キリストの一行が来たのをみて、「あれはナザレのイエスだ」と関心を寄せて集まってきました。今日の主役である盲人バルティマイは、周囲の人のざわつきによって「ナザレのイエス」が来ていることを知るのです。

当時、「ナザレのイエス」という呼び方はイエスを侮辱し、軽んじる時に使われていました。しかし盲人バルティマイだけは、その中でただ一人、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください!!」と叫ぶのです。

当時このエリコという町は、ローマの支配下にあることを見せつけられるような土地でした。領主ヘロデが自分専用のローマ風の宮殿を建てていたところであり、ヘロデのお膝元の地なのです。栄えて活気のある町だけれども、ローマ軍が管轄している土地であり、ローマ兵が常に駐留していました。この時バルティマイが叫んだ「ダビデの子」という表現は、「私たちの救い主」「私たちの王」という意味ですから、いわば、「ヘロデは真の王ではないのだ!」と叫んでいることになるのです。そのような表現をすることは、ローマ兵に捕らえられて、殺されるかもしれない危険を伴う行為でした。

目の見えないバルティマイは暗闇に向かって命をかけて叫ぶのです。イエス・キリストがどこにいるのか分からない、自分に気付いてくれるかも分からない、このことで自分は危険な目に遭うかもしれない。しかし「私はここで生きているのだ!」と声をあげるのです。イエス・キリストはバルティマイの叫びを聞いて、「あの男を呼んで来なさい」と言われます。つまり、「ダビデの子」という表現を受け入れ、それに応えたということですから、イエス・キリストも命をかけて自分を差し出し、その叫びに応えていったということです。

バルティマイが上着を脱ぎ捨て、躍り上がったという言葉から想像するに、それがどれほどの喜びであったのかが伝わってきます。バルティマイは物乞いをして生計を立てていました。おそらく路上で生活していたことでしょう。上着は彼にとって、寒さから身を守る唯一のものであったに違いありません。それを投げ捨てるほどに、イエス?キリストからの招きは自分を生かすものであるという確信があったのです。躍り上がり、イエス・キリストのもとに来たバルティマイは、イエスに招かれたことで、自分にとって最も生き方や人との交わりに影を落としていた、目が見えないということを口にすることができたのです。イエス・キリストの前にすべてを吐き出すことができたということです。このバルティマイの行動に、私たちは信仰とは何かを気付かされます。

バルティマイはイエス・キリストに出会い、見えるようになります。それは視力が回復しただけではありません。この人は、神が自分のような存在に目を留めて下さったことを知ったのです。悲しみを抱え、愛されることを求めていた私に、イエス・キリストは出会ってくださるお方であるということが見えるようになったのです。イエス・キリストはバルティマイに、「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃいます。どんなに辛くても、あなたは私を頼りとして、立つことができるのだ。」「わたしがあなたの嘆きに、耳を傾けようではないか」そう力を与えてくださるのです。

私たちには一つだけ誇れることがあります。それは私の嘆きに耳を傾けてくださるイエス・キリストがおられるということです。イエス・キリストという光を頼りに生きていくことができるということです。そしてその光は、私たちを生かす力を持った真の光なのです。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」イエス?キリストは、心から神を求める時、こんな私でさえも、目を留めて下さるお方であることを胸に、私たちの生活の場に遣わされてまいりましょう。

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