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イエスは神の国について教えるために、畑に埋められた宝と真珠をたとえとして教えらます。イエスが生きていた時代は、自分の財産を壷に入れて土の中に隠すという風習がありました。けれども、どこに財産を埋めたのか家族に教えることなく持ち主が死んでしまい、後になってから偶然誰かが埋められていた財産を見つけるということが多々ありました。ここで登場してくる宝を見つけた人も、予想もしていなかった場所から宝を掘り当てます。そして偶然見つけた宝を全財産を売ってでも、手に入れたかったといいます。同じように、良い真珠もプロの目から見ると大変価値あるものでしたので、商人は持ち物を売り払ってまで、手に入れたいと思ったわけです。どちらも予想もしていなかったところに大きな収穫が隠されていたのです。

そんなギリシャ語の雰囲気を大切にして意訳してみると、イエスはこんなふうに語りかけたのです。

神の働きも人間の思いをはるかに越えたところで起こるのです。私たちが考えてすぐに分かる方法ではなく、目に見えてそれが宝であると気がつくものに恵みがあるのではなく、むしろその働きは隠されているのだと語ります。そして畑の中に宝が眠っていたように、私たちの生活の中に神の働きを見出すことができるのだと言うのです。

神は私たちの思いを越えた働きをしてくださる方です。時には自分にとって辛く、苦しかった経験を通じて、私たちを導き、生きていく方向を神へと変えさせていきます。

私は思いを越えた神の働きを考えるときに、思い出すことがあります。それは私が息子を妊娠している時でした。妊娠中の十ヶ月間は喜びであると同時にとても不安を伴う日々でした。ふと、子どもが生まれることで、自分の人生はどうなっていくのだろうかと悩んでいました。しかし、そのような目に見えることを守っていきたいという思いに支配されていたわたしに、神はそれよりも大きな恵みを与えてくださったのです。それは教会生活において与えられました。

当時通っていた平安教会の母子室はとても狭く、6畳一間に10人が集まり、ギュウギュウな状態で礼拝を守っていました。もちろん子どもが一緒にいるわけですから、十分に説教を聞くことなどできません。けれども皆毎週礼拝に来るのです。母子室での礼拝は、日曜ごとに癒しと励ましを求めに教会に来ている方々と出会わせてくれました。

日々の生活は大変なことや、ため息が出てしまうようなことが多いけれど、礼拝に出て、また一週間を乗り切る力を与えられたいと思っておられる方々との出会いが与えられたのです。それは予想をはるかに越えた神の働きでした。子どもを育てていくことへの不安や、自分の先行きが見えなくなっていた私に、神が持たらしてくれた人との出会いによって自分が強められた経験です。どのような状態にあっても神は私たちの内で働かれるのだ、声なき声に耳を傾け、受け止めてくださるお方なのだと、改めて信仰の友から教えられました。

キリスト教が教える神の国とは、信仰生活を送る上で、その人の心と霊の中で育まれ、人間の目に見えなくとも一人の人間の心を生かしていくのです。私たちの人生には、人間の予想をはるかに越えた神の働きが確かにあります。自分が辛く苦しい時にこそ、寄り添い続けてくださる神の愛があるのです。

神からの導きは小さく、私たちには見えないほどですが、イエスの人生もそうでした。私たちの救い主でありながら、歩まれた道のりは決して華やかではありませんでした。この世に生を受けた誕生の時から、人々に受け入れられなかったのです。当時の民衆たちからすれば、全く神の子らしくない人生を歩まれました。イエスという大きな恵みでも、人間の目から見ると小さな、小さな存在のように思えたのです。

私たちは自分の目に映る事柄によって、神の愛を見出そうとしてしまいます。けれども、神の業とはどれほど人間の思いを越えた者であるのかをイエスの人生から教えられるのです。

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