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来る6月21日(日)この教会でも「祝宴」が開かれるのをご存知でしょうか。牧師就任式という「祝宴」です。招聘委員会はこの日のために一か月以上も前から様々な準備をして下さっています。全国に案内を送付しました。既に締切日は過ぎたのですが、まだ返事のない方が結構いるので内心焦っています。盛大な宴会を催した主人の気持ちが今とてもよく分かる気がします。

たとえ話に登場するこの主人もまた何週間も前から人々を宴会に招いていたのです。更に、当日には、自分の僕を遣わして招待しておいた1人1人に告げ知らせにいく丁寧ぶりです。一人一人の顔を思い浮かべながら、心躍らせながら主人は待っていたのです。そしていざ、ふたを開けてみると、欠席の返事ばかりではありませんか。 そこには、一つの傲慢が見え隠れしています。「今回断ってもまた誘ってくれるだろう、その時に行けば良かろう」「自分は招かれて然るべき人間なのだ」という醜い本心を、畑や牛や妻といういかにも最もらしい理由で巧みに偽装するのです。

主イエスは、このたとえ話をファリサイ派で議員である人の家の中で、上席に座っている律法の専門家、宗教的な指導者に対して語っているのです。イエスは、このたとえ話によって、「自分たちこそ選ばれ、招かれた神の民である」との傲慢に満ちた彼らの実態を暴露し批判しています。同じく、私たちもまた他人事のようにイエスの言葉を聴くことはできません。時に私たちも心に思うのです。「神様はわたしを愛して下さっているのだから、赦して下さっているのだから、いつだって呼びかけ招いてくださるだろう」。しかし、実はその姿勢が、今日という日に私に語られている主の言葉を聞こえなくさせてしまう、今、向けられている主のまなざしを見えなくさせてしまうのです。

僕の報告を聞いた主人は言いました。「急いで町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、足の不自由な人、体の不自由な人、目の見えない人をここに連れてきなさい。」「通りや小道に出て行き、無理にでも人々を連れてきて、この家を一杯にしてくれ。」

こうして突如招かれることになった人々というのは、いずれも、当時のユダヤ教社会においては、神の招きから除外されていると考えられていた人々です。主人はまさにその人々を招くことによって、部屋を一杯にしようと考えたのです。このたとえ話のポイントは、誰が最初に招かれ、誰が最後であったかという順番ではありません。誰が主の招きに応えたのか、ただこの一点です。

「無理にでも連れてこい」「この家を一杯にしてくれ」と、主人は僕に強く命じました。それは、なんとか宴会の体裁、面目を保とうというさもしい考えではなくて、「なんとしても、招きに応えてくれる一人でも多くの者を探しだすのだ」という思いの強さの表れです。それほどまでに神は、神の国の祝宴をあなたと共にしたいのだということです。その席へと招くために、町の広場や、路地や小道に遣わされた僕、それこそイエス・キリストなのです。

さて、宴会は、満席御礼だったのか閑古鳥が鳴いていたのか、それは記されません。通りや小道へと、僕がイエス・キリストが遣わされてたとえ話は終わりです。つまり神は今日もなお、この宴会の招きに応えるものを捜し続けているのです。神はその独り子キリストを遣わして、私たちを何としても招いておられる。あなた抜きに、天の祝宴を始めるなどできないではないか!との強い願いを込めて。たとえこの世において値打ちがないと見なされている者も、あるいは自分自身をそのようにみなして生きている者も、しかし神は限りない価値を見出していて下さいます。その主の招きを、何よりも大切に、何よりも喜びとしながら、これから始まる夏の礼拝の日々を共に守りましょう。

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