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今日の物語を読むにあたって重要なポイントは二つあります。一つ目は、9節に書かれている少年の行いです。少年は何を行ったのでしょうか。食べる物がないという不足、貧しさ、困窮を前にして、「捧げる」ということをしました。「持っているものを手放す」ということを行ったのです。これは驚くべきことです。なぜなら、この世の常識と真逆の行いだからです。この世の常識では、不足を前にした時、いかにして確保するか。いかにして保持するか。そういったアプローチで問題を解決しようとするのです。ところが、少年は正反対です。不足、困窮を前にして「手放す」ということを行っているのです。少年としては深く考えた訳でなく、「イエス様、お腹が空いているのならここにパンと魚がありますよ」というように、こどもならではの無邪気な捧げものであったのかもしれません。けれども、この無邪気な捧げものが問題解決の扉を開いていくことになるのです。

もう一つのポイントは、この少年の捧げものを受け取ったイエスが何をなさったかです。12節に書かれていますが、イエスは、パンと魚を感謝の祈りを唱えつつ「分け与えられた」のです。私たちは、増やしたかのように考えてしまうのですが、それは私たちの願望であって、イエスは分け与えられただけなのです。

つまり、この物語の結論を言うと、「不足や困窮を解決する方法は、捧げることと分かち合うことである。」ということになります。これが聖書の答えです。私たちは、ついつい確保すること、保持すること、抱え込むこと、手放さないことを考えてしまうのですが、そうではなく、正反対の捧げること、分かち合いのなされるところに神様の御業が現れ出て、そこに素晴らしい出来事が起こってくるのだ、というのが今日の箇所のメッセージです。

しかし実際のところ、本当にその方法で不足や困窮を解決することができるのでしょうか。そこに、神様の業が現れ出るのでしょうか。こればかりは、誰かが勇気を出して実際にやってみなければ分かりませんが、幸いなことに、これを実際にやってみた人たち、教会があるのです。現在進行形で、今この聖書の方法論によって戦っている教会の取り組みが、わたしたちの北海教区にあるのです。その取り組みこそが、札幌北光教会、琴似中央通教会、北見望が丘教会、そして置戸教会の4つの教会が力を合わせながら行っている宣教協力の取り組みだと思うのです。

今から5年前、置戸教会は不足と困窮のまっただ中にありました。お金があったとしても、「置戸教会は立ち行かず、いずれ閉鎖しなければならない。」そんな雰囲気が教会全体を支配していたのです。そうでいて、誰一人として取り乱す人はいませんでした。「教会の終わりの準備をしていくのだ」という心構えで、祈りながら粛々とその厳しい現実を受け入れていこうというただ中にある時、荒谷陽子宣教主事が置戸教会の存続のために手を挙げて下さったのです。正に、これは献身だったと思います。そして、その捧げものを、「感謝の祈りを唱えつつ、皆で分かち合える体制を整えていこう」と始まったのが、宣教主事体制です。けれども、着地点は全く見えませんでした。どこに行くのか、どうやって行くのか、誰も分からないままに、とにかく歩み始めたのです。そうこうしている内に、札幌北光教会と琴似中央通教会が、「一緒にやりませんか?」と手を差し伸べて下さったのです。

「何かしてあげよう」ではなく、「一緒にやりませんか?」という言葉でした。これはとても大切なことだと思うのです。北光教会は、置戸教会を気の毒に思って救いの手を差し伸べてくれたのではないということです。北光教会が言ってくれたのは、「一緒に捧げ合い、分かち合うことをしませんか?」という提案だったのです。宣教協力とは、捧げ合いと分ち合いなのです。

この営みによって、置戸教会は息を吹き返していきました。歩むべき方向性が見えてきたと言っても良いでしょう。今、置戸教会には実にさわやかで新鮮な聖霊の風が吹いています。札幌北光教会や、琴似中央通教会との繋がりがあるのだ、目に見えない捧げ合いがあるのだ、という事実が教会を変えたのです。宣教協力によって、神の息吹が吹入れられて、置戸教会は今、喜びの叫びを上げているのです。

地方に立つ小規模協会だけではありません。都市部にある大きな教会にも、今日の聖書が指し示す方法論は有効だと思います。お互いにしっかりと繋がり合い、関わり合い、教会をオープンにして連帯を保ち続けるのです。どんなに僅かな捧げものであったとしても、神様はそれを喜んで受け入れて下さるのです。そこに自然発生的に、捧げ合いと分かち合いが生まれ、神様の可能性が開かれていくのです。 (文責:筆者)

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