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イエス・キリストの到来を人々に告げ知らせた先駆者ヨハネ。彼は、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスを批判したことで幽閉されていました。場所はヘロデ大王の築いたマケルス要塞。死海の東側、海抜1200mの山頂、深い谷に囲まれた隔絶された所でした。
そこでヨハネは、かつて人々に告げた預言者イザヤの言葉を思い起こしたでしょう。「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ」(イザヤ書40:4、ルカ3:5)。イエス・キリストが繰り広げておられる業について弟子たちから聞いた時、この預言が遂に成就したこと、そして、先駆者としての自分の役割が果たされたことを思ったことでしょう。

一方、主イエスはガリラヤで、人々にヨハネについて話しました。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。(中略)預言者か。そうだ。言っておく預言者以上の者である。(中略)はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。」(7〜11節)ヨハネは、主イエスから「最高栄誉賞」を与えられました。しかし、主は続けてこう言われるのです。「しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である」(11節)。天の国で最も小さな者、それは、今、主イエスの話を聞いている群衆一人ひとりです。彼らは、天の国から最もかけ離れていると見なされていた人々であり、顧みられず排除され続けてきた人々です。しかし、神の目に、あなたたちがいかに高価で貴い存在であるか。その尊さは、この世のいかなる栄誉にも勝るというのです。神がどんなにあなたを愛し極めておられるか、その生きた証しこそがイエス・キリストでありました。主イエスが飼い葉桶に生まれ、世で小さくされた者たちと共に歩み、十字架で死なれたこと、ここに私たちにとっての何ものにも勝る恵み、何者にも奪い取ることのできない誉れがあります。

「天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」(12節)。この世は弱肉強食、力による天国の奪い合いを繰り広げています。皆が自分の意のままに生きることを追い求め、自分の尊さばかりを主張し、他者を卑しめ、神に成り代わってしまっています。「自分たちこそ、選ばれた民である」と高ぶって、天の国を神から奪い取っているのです。

「今の時代を何にたとえたらよいか。それは広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子どもたちに似ている。『笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌を歌ったのに悲しんでくれなかった。』」(16、17節)。共に喜んでください、共に涙してください、と叫んでも誰も見向きもしてくれない、皆の心が伸びきったゴムのように、共感する心の弾力が無くなり、自分の要求ばかりを訴える。広場で呼ぶ小さな声は、昼は喧噪の中で掻き消され、夜は空しく響くばかり、それが今の時代だというのです。
しかし、主イエスは言われます。「知恵の正しさはその働きによって証明される」(19節)。どんな正論も、巧みな弁舌も、優しい言葉も、その正しさは、その働きによって証明される。そして、イエス・キリストとは、まさしく人(働き)となった神の言(知恵)です。主イエスが、一体どのような姿で、どこに生まれ、誰を招き、誰を訪ね、そしていかにして死なれたか。そこにこそ天の国の姿は「証明」されているのです。

キリストは、力ずくで天の国を奪い合うこの世から、命がけでこれを取り戻されました。そして、天の国はそこに相応しいものに対して開かれました。それは、実に、わたしたちすべての者に対してでありました。私たちにとって、天の国を開いた主の十字架こそ紛失してはならない、そして捻じ曲げてはならないただ一つの鍵なのです。
この十字架の贖いのゆえに、主は言われます。「神の国は、『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:21)。互いに主の前に相応しいとされた者です。主に限りなく赦されたものとして赦し合う、限りなく愛されたものとして愛し合う、笛の音に耳を澄まし、葬りの悲しみの歌を共に歌う。そこでこそ荒れ野は、天の国となるのです。

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