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聖霊が降って間もないある日、祈るために神殿に向かったペトロとヨハネは、神殿内の「美しい門」で生まれつき足の不自由な男に施しを乞われました。ペトロは言います。「わたしには金銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人、イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」。「キリストの名によって」とはすなわち、キリストの力によって、ということです。ペトロはキリストの権限によって、この癒しの業を行ったのです。彼が男の右手を取ると、男はたちまち、「足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出し」ました。金銀というつかの間のものを欲した男でしたが、与えられたものはそれよりもずっと価値あるものでした。予期せぬ出来事に、彼は「歩き回ったり踊ったりして神を賛美し」はじめます。溢れんばかりの喜びが伝わってきます。この「歩く」という言葉には、「生きる」という意味があります。彼は「キリストの名によって」生きる、つまりキリストにより頼んで生きる、真新しい人生を得たのです。

この箇所の少し前(2:25-28)で、ペトロが説教の中で引用している詩編16篇を男の立場から読むと、まさにこの日の出来事の予告のようです。「わたしは(ペトロとヨハネを通して)目の前に主を見」、「右」手で起こしていただいた。すると足腰が「動揺しな」くなり、「わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる、体も希望のうちに生きるであろう」。わたしの魂は美しい門で「捨てておか」れることはない、それは「聖なる者(キリスト)が陰府で「朽ち果てるままにしておかれ」なかったからだ。キリストは「命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる」。ペトロの説教はこの男において見事に実現しました。神様はみ言葉に忠実であられます。

私たちも同じように、悩みや困難を抱えてうずくまることがあります。祈りがなかなかきかれないことも少なくありません。でも、美しい門の「美しい」という言葉には、実は「時に適った」という意味もあります。時に適った一番美しいときに、救いの右手はきっと差し伸べられます。一番美しい時、それは私たちが最大の栄光を神様に帰することができる時ではないでしょうか。この男にとっては、この日がそうであったのでしょう。
一方、ペトロとヨハネにとってもまた、これは予期せぬ恵みの始まりでした。群がってくる人々にペトロが説教をした結果、五千人の男が信じるに至ります。二人は投獄されますが、処罰をまぬがれて釈放され、仲間と祈ると皆それまで以上に大胆に神の言葉を証しするようになった、と書かれています。祈るためだけに神殿にやってきたはずのペトロとヨハネにも、思いもよらない出来事が待ち受けていたのでした。神様は、思いがけない時に用いてくださいます。今週、美しい門で皆さんを待っているのは誰でしょうか。ペトロと同じ、持っているものを差し出せばよいのです。時間、賜物、温かな言葉。時には財産や物資、み言葉かもしれません。もしイエス様に用いられて右手を差し伸べ、ぐいっと立たせてあげることができたら、そんなに光栄なことはありません。男のように、嬉しくて踊りまわりたくなることでしょう。

4年前、無牧師となった置戸教会も、美しい門でうずくまっておりました。そこへ、当時北光教会の牧師であられた後宮先生が、ペトロのお面をかぶってやってきました。そして右手を差し出し、ぐいっと立たせてくださいました。その右手を、指方先生が力強く引き継いでくださっています。わきで支えてくださる大勢のヨハネさんやマリアさんと出会い、私たちは踊り歩いてまいりました。今日も今頃、置戸の皆は北光の皆さんをお迎えして、心を躍らせて礼拝を守っているに違いありません。美しい門で待っていた男は、足だけでなく、仲間も得ました。それもまた、今日の箇所が語ってくれる恵みです。「二人と一緒に境内に入っていった」と書いてある通りです。シャル・ウィ・ダンス、シャル・ウィ・ウォーク。共に踊り、共に歩めますことを、心から感謝いたします。

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