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ハンセン病療養所・邑久光明園内に立つ光明園家族教会で代務者をさせて頂きました。Kさんは入園して数年後、面会に来た父から告げられました。「お前がここでおとなしくしてくれる御陰で、家族皆無事で過ごすことができている。これからもじっとしていてくれ。今晩は近くの旅館に泊まってまた明日来るから、そう言い残して姿を消したままでした」。家族から社会から見捨てられた、その絶望の極みの中、しかし聖書の言葉が彼らを救い出しました。現在、平均年齢86歳となっても、教会には感謝の祈りと賛美は響き続け、福音が証しされています。

生まれつき目の見えない人が座って物乞いをしているのを通りすがりの主イエスが見かけました。生まれつきの障がいは、罪の結果であると言われ、神に呪われ捨てられた証しでありました。こうして人は不条理な現実を、絶対者なる神の業であるとして説明可能なものにしようとしました。

弟子たちは主イエスに尋ねました。「なぜこの人はこんな目に遭わねばならなかったのか」「誰が罪を犯したのか」。こうして弟子たちは彼の過去を探ろうとしました。しかし主イエスは、「本人が罪を犯したからでも、両親が犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである」と言い、彼の過去ではなく今を、ここにいる彼の存在をこそ思ったのです。

「神の業がこの人に現れる」とは、どういう意味でしょうか。もしそれが、「神が癒しの業を現すために、あえて彼に障がいを負わせたのだ」「神のご計画なのだ」という意味ならば、主イエスの癒しは、命を弄んだやらせと言わねばならないでしょう。そうではなく、いわれなき苦しみを負わされ、孤独を強いられてきた、この人にこそ「神の業は現れなければならない」のです。その神の業とは、「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」(ヨハネ6章26節)と言われている通りです。

神が遣わされたイエスを信じること、もう少し言えば、主イエスに証しされている神の愛を信じることです。神の愛がいま自分に向き合い、触れて下さっているということを信じる心が、この人にこそ現れなければならないということです。このことは、もはや彼の問題ではなく、主イエスご自身の問題なのです。「なんとしてもこの人に神の愛を知って欲しい」と切実なのです。主を信じることは、その真実な思いに包み入れられていくということです。

さて、彼はイエス信奉者の疑いで町から追放されました。追い出された彼に、イエスが再び出会って下さった場面がとても印象的です。癒された彼は、いまや見えるようになったにも関わらず、イエスという方を早く「見たい」とは求めず、「その方を信じたい」(36節)と言ったのです。

ところで、彼が主イエスに「行って洗いなさい」と命じられ向かったシロアムの池、そこは「遣わされた者」という意味の場所でした。ここには聖書のメッセージがあります。神に「遣わされた者」イエス・キリストは、一人ひとりに出会われました。たとえそれが安息日であっても。いや、安息日だからこそです。「まだ日のあるうちに行わねばならない。誰も働くことのできない夜が来る。」十字架という闇が既に差し迫っているのです。しかし、主イエスは自分に残された時を、道を、決して慌てて通り過ぎはしませんでした。この物語は決して「通りすがり」の出来事ではなく、主イエスが遣わされた者として、誰のもとに遣わされたのかを示す物語であり、その出会いの一つ一つが、十字架へと至る道すがらとなっていったのです。

そして、癒された彼もまた、「遣わされた者」です。追い出された彼はその後、どこへ向かっていったのでしょうか。その後の人生は全く不明です。帰る町も家もありません。見えるようになった代わりに、信じる者となった代わりに失ったものもまた大きい。しかしそれは追い出され、敗北した歩みではなかったはずです。

冒頭で紹介した光明園家族教会の信徒Yさんはこうも語っておられます。「ほとんど日の当たらない死の陰の谷を歩むような試練の道であった。特殊な環境の無駄な人生であったように考えられます。しかし、その道、半ばにおいてイエス・キリストに出会い、その御顔の輝きに照らし出された光の道に導かれた勝利の人生でもありました。」

ここに癒され遣わされた彼自身の姿があるのではないでしょうか。癒された彼はその後、どこへ行ったのか、その彼とは、他でもない私たちのことです。今、ここから遣わされていく私たちの歩みそのものに彼の姿はあるのです。

「わたしはあなたを孤児にはしない」その約束を信じる幸いの中を、遣わされた者として歩んでいきましょう。

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