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イエスは「わたしは道である」(ヨハネ14:6)とおっしゃっておられる。つまり、イエスは道であって、建物ではないということだ。イエスは建物ではなく、構築物ではなく、道である。それゆえ真理であり、いのちであり、世の終わりまで永遠に残り続けるお方である。

私たちのキリスト教信仰もまた、道であって建物ではない。だから、信仰で大切なことは、構築すること、立ち続けよう、残り続けようとすることではなく、逆に、動くこと、流れること、移り変わって行くことを「よし」と受け入れることだ。そこで信仰は、生きた信仰となり、私たちを実際に生かす信仰となり、そこで信仰は保持され、維持され、次の世代へと語り伝えられて行く。

今日の箇所の前の段落を見てみると、「ペトロの離反を予告する」(14:36〜)という段落となっている。この後、鶏が三度鳴く前にペトロの信仰は崩れ去ってしまうことになるが、そのことを、ここでイエスは予告されている。つまり、ペトロがこれまで積み上げて来た信仰、ペトロが一生懸命構築して来た信仰は、やがて崩れ去ってしまうことになるということだ。
これはとてもショッキングなことだ。それゆえ、今日の箇所の冒頭にあるように「心を騒がせるな」(14:1)とイエスはおっしゃるのだ。積み上げて来た信仰、構築して来た信仰が、崩れ去ることになったとしても、心騒がせるな、心配するな……。なぜなら、そもそも信仰とは、積み上げるもの、構築するものではないからだ。信仰とは建物ではなく、道だからだ。だから、たとえ崩れ去ることがあったとしても、そこで、心騒がせることなく、神を信じて、イエスを信じて、歩み続けることだ。だから、変化を恐れてはならない。形を変えること、移りゆくことを恐れてはならない。生きている信仰、本物の信仰は、人生の様々な局面で変化し、形を変え、移りゆくものなのだ。
そして、そのような信仰の歩みを続けて行く者に、次の段落にあるように「聖霊が与えられる」(14:15〜)との約束が与えられる。積み上げること、構築することではなく、道としての信仰を歩むことによって、聖霊が与えられる……そこで聖霊の風が吹く……そこで神の息吹が吹き入れられる……。そのようにして、人は主の御心に適う者となり、そこで信仰は維持され、保持されると共に、日々刷新され、次の世代へと継承されて行く。

私は1995年に按手礼を受けて牧師となった。これまでちょうど20年間、牧師として歩んで来た。言葉を変えて言うなら、私はこれまで20年間、牧師としてのキャリアを積み重ねて来た。そして、私はこれからも、このキャリアを積み重ねて行くつもりだった。構築し続けて行くつもりだった。ところが、様々な事情があって、今回それにストップがかかった。
しかし、あらためて冷静に考えてみると、聖書をひもといて、謙虚に御言葉に聞いてみると、今日見て来たように、そもそもキリスト教信仰は構築するものではないのだ。牧師職もまた、キャリアではないのだ。今日の聖書が教えている通り、信仰とは道であり、牧師職もまた道なのだ。
構築することではなく、キャリアを積み重ねることではなく、人生の様々な局面で、与えられた道を歩み続けて行くこと……心騒がせず、神を信じ、イエスを信じ、ひと足またひと足と、謙虚に、誠実に、実直に歩み続けて行くこと……そこで信仰は保持され、そこで牧師職は保持され、そのように生きる者に聖霊の風が吹き、神の息吹が吹き入れられ、信仰は刷新され、継承され、その人は主の御心に適う者へと作り変えられて行く……この聖書の約束を信じて歩む者がキリスト者であり、また牧師だと思う。

今私は、ある人の紹介で、近所の小さなメノナイト教会の礼拝に出席している。礼拝出席者数名の、アパートの一室で礼拝を守っている小さな「家の教会」だ。また仕事は、これもある人の紹介であるNPO法人で介護の仕事をしている。これまで私は、牧師としてまた園長として、主に組織を相手にして仕事をして来たが、今は一人一人の信徒、一人一人の生きにくさを抱えている人との出会いの中で日々を過ごしている。キリスト者としての、また、牧師としての原点に立ち返らされた思いだ。当初、戸惑いもあったけれども、今は、この道をしっかり歩んで行こうと思っている。
大切なことは、今日の聖書の冒頭(14:1)にあったように、心騒がせないで、神を信じて、イエスを信じて、歩むべき道を歩み抜いて行くことだ。その歩みの先で聖霊の風が吹く、そこで神の息吹が吹き入れられる……この神の約束を信じて、ひと足またひと足と歩み続けたいと思う。

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