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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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宗教改革500年の年です。1517年、ルターがローマ・カトリックの贖宥状販売を批判してしるした95ヶ条の提題を引き金に、教会の改革運動がヨーロッパ中に急速に広がっていきました。「1517年(以後、否)」で覚えた方も多いでしょう。改革の精神を受け継いだイギリスのピューリタンは、1620年、メイフラワー号で新大陸アメリカへと渡りました。19世紀初頭、世界伝道の使命を抱いて伝道会社を設立し、この日本へと福音を携えてやってきました。日本に最初のプロテスタント教会が設立されてから20数年後の1896年10月、この札幌北光教会(札幌組合基督教会)が創立されたのでした。「1896年」(いや〜、苦労した北光教会)で覚えてはいかがでしょう?
キリスト教禁制だった日本に福音がもたらされ、北の大地に教会が建てられるために、そして今日こうして私たちを礼拝へ招き、教会へ結び、信仰に生かすために、神様は「いや〜苦労」されたと思います。
常に、全力の神によって導かれてきた札幌北光教会の創立、そして121年の歩みであったことに思いを合わせ、主を讃美し、思い新たに教会を形作って参りましょう。

札幌北光教会の創立は、いわば「らくだが針の穴を通った日」です。いいえ、それどころの話ではなく、それよりもはるかに困難な、「人間が天の国に入った日」なのです。本来、どんな苦労してみても、どんな知恵を獲得したとしても、絶対に入ることなどできない天の国に、わたしたちの居場所が、命の拠り所が主イエスによって備えられた日であると言って良いでしょう。
聖書の掟をすべて守って生きてきた金持ちの青年は、自分にはまだ欠けているものがあるだろうかと、主イエスに尋ねました。主イエスは、「あなたは自分の持ち物を売り払い、貧しい人に施しなさい。そうすれば天に富を積むことになる」と告げたのです。それは、「律法を完全に守り、それによって永遠の命を得られると考えるならば、あなたは、すべてを売り払って施すことができなければ嘘になる。たとえ永遠の命獲得の99歩まで達していたとしても、その1歩のゆえに、それはあなたからどこまでも遠いものになってしまう」というメッセージです。
悲しみ、立ち去った青年の姿を、ペトロは忘れられなかったでしょう。そして更に主イエスが、「天の国に入るより、らくだが針の穴を通る方が易しい」と言われたものですから、「イエス様、それなら一体、誰が救われましょうか」と、戸惑いを隠せませんでした。

主イエスの答えは、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」でした。「何でもできる」とは、あなたのために「何でもなさる」神様、「全力を尽される」神様ということです。それがイエス・キリストの十字架の出来事に現れています。神は、あなたが無となる、空しくされることを良しとはされず、最も困難な決断を下されました。どんな財産にも勝る独り子を十字架に掛けてでも、世をご自分のものとして罪と死の支配から贖い取ろうと決断して下さった神です。何でもできる神。それは、「心を尽くし、思いを尽し、精神を尽し、力を尽くし、あなたの隣人を自分のように愛しなさい」との言葉を、まさしく実行された神であるということです。

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとにいくことはできない」(ヨハネ福14:6)、そう告げられた主イエスによって切り開かれた一本の道。それが父のもとへ至るただ一つの道であるのは、神が私たちに対して、それほど「一途」であられるということの証しではないでしょうか。
立派な99歩であろうとなかろうと、神はご自身が切り拓かれたイエス・キリストという道に一歩を踏み出すことへと、すべての者を招いておられます。それは、これまでの99歩とは全く違うもの。主に委ね、主に導かれ、主が語り、主に用いられる道に生きる一歩です。

わたしたち札幌北光教会の121年の歩みは、エマオへの道を歩んだあの弟子たちのようではないでしょうか(ルカ24章13節以下)。復活の主イエスが伴われていることに気付かず、落胆と今後の不安に苛まれることもしばしばあった。悩む自分たちを追いかけ、寄り添って歩いて下さっている、そのことに気づけないという時もあったかもしれません。でも、そのような時があったからこそ、主イエスが、食卓でパンを裂いた時、彼らの心の目は開かれたように、自分たちは、主に導かれて歩み、ここからも主にあって生きていく日々であることを繰り返し知ってきたのです。
たとえ人生の道は、曲がりくねっても、でこぼこだらけでも、急こう配でも、人生の夕闇に覆われる時も、鶏が声をからすほど幾度も鳴いたかもしれなかった歩みも、「わたしがあなたの道でいる」と、主が変わらず約束し続けて下さっている以上、わたしたちは平安の内に歩み続けることができます。
その道は、天の国へとまっしぐらなのです。しかし、神は、私たちの隣人の内におられる方です。わたしたちの歩む天への道は、ほかでもなく隣人のもとへと遣わされて行く道と同一です。

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