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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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イエスは聖書の時代の種蒔きを譬えに群衆に話をされた。種を蒔く人とは、イエスのことであり、道端、石だらけの所、茨の間、そして良い土地とは私たち人間のことを指し、そして種とは、イエスが語られる御言葉、大切な神の教えということである。つまり、農夫であるイエスが大切な教えという名の種を畑である私たち人間に蒔いてくださるというのである。

しかし、ある人は、道端に落ちた種が鳥に食べられるかのように、せっかくイエスが種を蒔いてくださったにもかかわらず、誰かに奪い取られるかのようにまったくイエスの教えが心の中に入っていかない状況を表している。またある人は、石だらけの所に蒔かれた種のように、イエスが蒔いてくださる種、神の御言葉を喜んで受け入れるが、表面的にしか理解できず、困難な状況や壁にぶち当たった時に躓いてしまう人のことを表している。またある人は、茨の中に蒔かれた種のように、せっかくイエスの御言葉を受け入れても、茨のように私たち人間に絡みついてくるこの世の誘惑に惑わされ、実を結ぶことができない状況のことを表している。しかし、中には、良い土地と言われるように、イエスの御言葉を心の中にしっかりと受け止め、蒔かれた種が実を結ぶような実りある者になることも可能なのである。

私たちひとりひとりはどのような土地だろうか?道端のような硬い土だろうか?石だらけの浅い土だろうか?茨に覆われた土だろうか?それとも良い土だろうか?私たちがいろいろな種類の土地として表現されているが、そのほとんどが実を結ばない土地になってしまっているのはどうしてなのだろう?

創世記の「カインとアベル」の物語で、兄カインは弟アベルに嫉妬し殺してしまう。その結果、土を耕す者であったカインに対し、神は土を呪われたものとした。神が創造された良い物である土を呪われる物と変えてしまったのは、「カインとアベル」の物語からもわかるように人間の罪や弱さである。私たちは、「今、自分はどのような土で、どのようにイエスの教えである種を受け取っているのだろう」と立ち止まって、確認する必要がある。

私自身を顧みた時に、自分という畑は、石だらけで茨に覆われた硬い道端のような、実を結ばないどころか決して芽も出ないような土地であった。しかし、そのように荒れ果てた土地である私がかろうじて教会に繋がり続けることができたのは、何も実らないような土地を見捨てることなく、私の隣人が根気強く茨を取り除き、石を取り除き、硬い土を耕してくれたからである。そのような隣人の働きかけと祈りがあって初めて私という土地から小さな芽が出たのである。

神に、そして隣人に生かされ、私たちは教会につながる歩みの中で「生えて伸びて咲いている」のである。これほど大きな恵み、大きな幸せはないだろう。しかし、受け取った種を100倍、60倍、30倍にできるかどうかは私たちひとりひとりに委ねられている。私たちに蒔かれる種をしっかりと受け取る歩みを進めたい。また、自分だけが芽を出し、実を結べば良いのではなく、隣人という周りの土地にも目を向けたい。私たちは神に創造された存在で、時に種を受け入れることができる土地にもなるが、時に硬くなったり、茨が生えたり、石だらけの土地になってしまう弱さも合わせ持っている。しかし、イエスが根気強く人々と付き合い、決して関係を切らなかったように、私たちも根気強く、隣人の土地から茨や石を取り除き、また必要ならば耕してあげる、そのような歩みが必要なのではないだろうか。隣人と共に「生えて伸びて咲く」そのような歩みを進めて行きたい。

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