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ルカによる福音書15章には三つのたとえ話が記されています。共通していることは、失われた大切なものが戻り、大きな喜びがもたらされるという内容です。特に「見失った羊のたとえ」と「放蕩息子のたとえ」は有名で、この「なくした銀貨のたとえ」は簡潔な上に両者に挟まる形であまり注目されません。

三つを比較すると細部に違いがあります。羊は気付くと迷い出てしまっていました。自力で群れに戻ることはできません。もしかすると自分が迷い出ていることに気付いていない可能性もありますが、助けを求めて鳴くことができます。いずれにせよ危険な状況に置かれていますが、羊飼いによって連れ戻されます。見つけ出すまで捜し回る羊飼いの思いが神の愛に結び付けられています。放蕩息子は自分から望んで父親のもとを離れ、遠い国に行きました。やがて身を持ち崩し、我に返って悔い改め、自ら父のもとに帰ります。ここで強調されているのは息子の帰りを信じてひたすら待ち続ける父の姿です。これらに比べるとこの「失われた銀貨」はうっかり迷い出たのではなく、自分から進んで持ち主から離れたのでもありません。しかも動物や人ではありませんから助けも求められず、自分からはどうすることもできません。つまり見つけられるか見つけられないかは「持ち主次第」なのです。もちろん持ち主にとって大切な銀貨ですから失えばもったいないので、一所懸命捜されるでしょう。羊飼いのたとえにおいては、残された99匹については視点が強調されていませんから「見つけ出すまで捜し回る」ことに納得できます。放蕩息子のたとえでも、心配で居ても立ってもいられなくも、ひたすら待ち続ける父の愛を理解できます。見つけ出すまで捜す、あるいは帰ってくるまで待つ思いに、わたしたちは共感できるのです。しかし銀貨はどうでしょうか。その場から勝手に移動するものではなく、しかも無くしたのは家の中です。捜すのを一旦中断してもいいのではないでしょうか。安い金額ではないにしても、とりあえずは捜すことを中断して一旦諦めてもいいのです。お金はまた稼げばよいと思うかもしれません。実際わたしたちは家の中にせよ外にせよ、何かを落としたり無くしたりした際に、それを捜し出すことを諦める場合が結構多いのです。

このたとえ話のなかでは、持ち主が銀貨を失った状況や理由は説明されていません。うっかり財布からこぼれ出たのかもしれませんし、ポケットの穴から落ちたのかもしれません。ドラクメ銀貨は労働者の賃金一日分ですから決して安い金額ではありませんが、ある程度捜して見つからなければ諦めのつく金額とも思えます。常識に照らせば、捜すことを諦めても羊や息子を「見捨てる」ことと比べれば、特に非難されることはないでしょう。実はこれがこのたとえの重要な点です。果たしてわたしたちは自分のことを神にとっては見つかるまで捜し求められるほどに大切な存在であると思っているでしょうか。神はわたしたちをしつこく捜してくださる方です。捜すことの中断もないのです。

わたしたちは神に「見つけ出すまで諦めない」ほど愛されているのです。

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