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敗戦から70周年。それはエルサレム神殿崩壊から再建までの年月にほぼ重なります。第二次バビロン捕囚、都エルサレムの崩壊によって、「この悲劇は一時的なもの」と民の間に流布されていた楽観論は粉砕されました。60年後、新たな支配国ペルシャによってバビロンから解放された民の一部がエルサレムに帰還し、悲願の神殿再建に取り掛かりました。しかし不作や周辺民族との対立で工事は中断。再建意欲も削がれ行き詰まりました。それでも、ゼカリヤやハガイといった預言者たちの励ましを受けて工事は再開。それから5年がかりで遂に第二神殿が完成しました。最初の神殿崩壊から約70年後のことです。

さて、工事再開から2年後くらいの話です。ある人々が預言者ゼカリヤに尋ねました。「わたしは、長年実行してきたように、5月には節制して悲しみの時を持つべきでしょうか。」ユダヤ人は、バビロン捕囚以後、エルサレム滅亡という苦難の出来事を記念して年数回の断食を守っていました。けれども今や、再建工事は着々と進行し、新時代がもうそこまで来ているこの時に至っては、もはや過去を振り返って断食する必要などないのでは、と考えたのでしょう。

しかし、神はゼカリヤを通して応えました。「あなたたちは断食し、嘆き悲しんできた。こうして70年にもなるが、果たして、真にわたしのために断食してきたか。あなたたちは、食べるにしても飲むにしても、ただあなたたち自身のために食べたり飲んだりしてきただけではないか。」(7章5,6節)

70年にわたる断食、飲み食い、それらを通して、あなたがたは自分たちが神に背き続けてきた罪を本当に悔い改めてきたのか。あなたがたが断食を通して祈求し続けてきたことは、自分たちのかつての栄光を再び獲得することばかりではなかったか、と問うているのです。

神の求める断食とは、「やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者らを虐げず、互いに災いを心に企まない」ことです(7章10節 イザヤ書58章参照)。つまり、互いに苦しみ、労り、神に愛された命を共に尊びながら生きていく道を、渇望し続けていくこと、それこそがなすべき真の断食だというのです。

ゼカリヤを通して語られた主の言葉は、時を越えて、敗戦後70年を経た私たちの只中に投じられています。果たしていまこの国は、私たちはどこに向かって何を「再建」しようとしているでしょうか。己の栄光を求める神殿であるならば、再び打ち砕かれる日が必ずくるのです。

神は、ゼカリヤを通して、来るべき新しい都の光景を描きます。「わたしは再びシオンに来て、エルサレムの真ん中に住まう。エルサレムの広場には再び、老翁、老婆が座すようになる。それぞれ長寿のゆえに杖を手にして。都の広場はわらべとおとめに溢れ、広場で笑いさざめく。」(8章3〜5節)幼子も老人も、皆が和やかに過ごしている。脅かす何ものもなく、日の昇る国から日の沈む国まで、あらゆる人々がそこに招かれ、神の民となる、そんな希望を神はゼカリアに告げさせています。そしてこの希望は実現不可能な儚いものではないはずです。神はそんな平和の実現のために既に決断し行動されているのです。

続くゼカリヤ書9章には、子ロバに乗ってやってくる王、すなわちイエス・キリストについて預言されています。「神殿を三日で建て直す」(ヨハネ2:19)、そう告げた主イエスは、やがて子ロバにのってエルサレムにやって来られました。そして十字架を背負い、私たちの罪を背負い、御自らの命において、神と私たちとが出会い、交わることのできる真の神殿となって下さいました。いつも私たちの間に既に再建されている主イエスという崩れることのない真の神殿を中心としながら、そこに限りない赦しを、愛を確かめ、お互いに真実を語り、平和を愛する一歩を踏み出してく勇気を与えられたいと願います。

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