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悪霊を追い出し、病をいやし、また当時の権力者である律法学者たちを言い負かす、そんなイエスの行いを見て、感動した女性が声高らかに「あなたの母はなんと幸福なのだろう」言いました。それに対してイエスは「神の言葉を聞き、それを守るものこそ幸いである」応えるのです。

ここに、価値観の相違が明確に描かれています。かの女性は、幸いとは社会の評価であるという価値観ですが、イエスは別の幸福感を示そうとするのです。

そこで「しるし」を求めてやってきた多くの人に向かって、イエスは「ヨナのしるし」以外には与えられないと言いました。「しるし」とはイエスが救い主であるとの、疑いようのないような証拠を求めたのです。たしかに、そんな「しるし」があれば、教会に人が集まってくることは間違いありません…そんなことを考えるのです。  ところが間違いなく、誰が見ても、イエスが救い主であるということが判るようなことがらがあるでしょうか。そんなものはありません。この求めは、神を自分の僕にしようとの魂胆からうまれるものです。だから、イエスはそんな時代を「よこしま」だと言いました。

神が私たちに与えて下さるのは、「ヨナのしるし」です。

ヨナは大変有名な預言者で、異邦の地ニネベに行くように命じられるのですが、そこから逃げてタルシシに行こうとします。ところがその船が嵐に遭い、くじを引くとヨナのせいで嵐に遭っていることが判明します。彼は海中に放り出されるのですが、大魚に飲み込まれます。魚の腹の中で、ヨナは悔い改めると、3日後に魚の口から吹き出されるのです。そこはニネベだったのです。ヨナが神のことを告げ、悔い改めるように訴えると、ニネベの人たちはこぞって神を信じ、悔い改めたという物語です。

つまり、ヨナのしるしというのは、この3日後に魚から吹き出されたということだと理解されています。それは、イエスが十字架にかかって死に、3日後に復活すること、つまりヨナのしるしとは「十字架と復活」なのです。

イエスは「ソロモンにまさるものがここにいる!ヨナにまさるものがここにいる!」と叫ぶのですが、「十字架と復活」以上のものを何故求めるのかという問いが私たちに向けられているのです。

私たちもしるしを求めているのではないでしょうか。なにか信じられるものを下さい。なにか確信を持てるものを下さい。それがあればわたしはあなたを信じるでしょう。そのしるしがないから私は信じることができない。そんなふうに神に訴えているのです。

けれども、イエスは言われるのです。「しるし」は「十字架と復活」以外には存在しない。あなたのために苦しみ、あなたの苦しみを共に担うために苦しみ、十字架に向かった私がここにいるではないか。そして復活をして、この世に打ち勝った私がここにいるではないか。どうして、私を信じないのか、と。

その「十字架と復活」こそ、闇の中に輝く「ともし火」です。昔の人は、光は目から体の中に入ると感じていました。反対に、目を閉じていると(濁っていると)、どんな真実が示されようとも、光は入ってこないし、体も暗い。だから、あなたの中の光が消えてしまっていないか、注意しなさいと言われるのです。つまり、あなたは本当に十字架と復活を見て、それによって生きているのかと、ルカは問うています。

十字架と復活は私たちの前にあって、隠されていないのです。もし、それが私たちの力にならないとしたら、それは私たちの心が閉じているからです。大切なことは、どんなときも、どんな状況においても、私たちの心が神に対して開いていることです。十字架と復活の意味を思い続けているということなのです。すると、彼の光は私たちの中に入り、私たち自身が輝くのです。

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