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愛する者の死は、ある意味で自分自身の死であるとも言えるでしょう。マリアは、愛する兄弟ラザロを失った今、死と絶望の闇の中に置かれているのです。慰めにきた人々もみな涙していました。するとその時、主イエスは、「皆が泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して言われた。『どこに葬ったのか』」(33節)。

主イエスの激しい憤りと興奮、これは一体何事でしょうか。さすがのイエス様でも、ラザロの死の現実を受け入れられず、どうして良いか、どうしてこんなことになったのか分からず心騒がせたということでしょうか。あるいは、人々が絶望仕切っている様子に向かって「情けない」「不信仰だ」と憤ったということでしょうか。きっと逆です。主イエスの憤り、それは、まるで神さまなど生きておられないかのように人々を絶望や諦めに陥らせてしまう死そのものに対する憤りです。一言も語らず、しかし一切を支配しているかのような死に対し、主イエスは耐えがたく心を激しくされるのです。

憤りと興奮が渦巻いている、これほど感情を露わにした主イエスを聖書中、他にみつけることはできません。特に、ヨハネによる福音書においては、十字架上の苦しみにおいてでさえ、主イエスはここまで感情的ではないのです。十字架上での死に際して、主は「渇く」「成し遂げられた」(19章28、30節)と、まるで穏やかに告げられるのみです。それに対して、激しく憤り、興奮するイエス。主イエスがその身に味わわれたはずの十字架上の凄まじい苦しみというものは、実に、憤り興奮するこの場面においてこそ描き出されている、と言えるのではないでしょうか。

ベタニア村へと向かうことは、主イエスの命を狙う者に捕えられる危険があったのです。それでも、ラザロとその姉妹への愛が、死の危険へと主イエスを押し出しました。そしてその通り、ラザロは甦るに至り、主イエスは捕えられ十字架に死なれたのです。つまり、命の交換ともいうべき出来事がここに起きているのです。十字架の出来事は、まさにここに現れています。それはラザロを、そしてマルタとマリアを、どこまでも愛する愛の激しさです。死の絶望を、その悲しみと痛みをご自分のものとして受けとめつつ、「しかし、ここに絶望は決してないのだ」ということを、なんとしても指し示そうとする愛の激しさなのです。

続く35節の言葉は、聖書の中でも最も短い一節です。「イエスは涙を流された」。両目から涙が流れ、頬を濡らしている主イエスの御顔がどのようなものであったか、想像を膨らまされます。その様子を見たユダヤ人たちが言いました。「ご覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」(36節)。かつて、あの洗礼者ヨハネは主イエスを指し示して言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」(1章29節)。また、あのポンテオ・ピラトは、茨の冠をかぶせた主イエスを群衆の前に晒しながら叫びました。「見よ、この男だ(この人を見よ)」(19章5節)。ヨハネ福音書は、「見よ!」と繰り返し、主イエスを強く指し示すのです。そして、もう一つの「見よ」がここにあると言えます。「ご覧なさい(見よ!)、この方はどれほどラザロを愛しておられたか。」「その愛を見よ」と。これは、読者である私たちに向けられている呼び掛けです。「あなたも御覧なさい。見なさい、この主の愛が、今日、あなたをも訪ねて下さっているのだ」、そう呼び掛けられています。

墓から起き上がり外へと出てきたラザロが見た光の眩しさとは如何ほどだったかと想像します。ラザロが見た光、それは「神の栄光」という光です。すなわち、ラザロがみた神の栄光、それは自分の前に立ち、涙を流して下さっている主イエス・キリストその方のことです。この方によってすべてが担われていること、この方の内に命があることを見たのです。

甦ったラザロは、やがて再び死の時を迎えることになりました。しかし、その時ラザロは、決して失われることのない、空しくされることのない命が、神の愛の中にあるのだということを知っていたはずです。この愛によってとこしえに照らし出されている自分であるということを知る者として召されていったはずなのです。

わたしたちは、今日、「成し遂げられた」と主が告げて下さった時を生かされています。神の愛が、私の生においても、死においても全うされていること、その事実を信仰の目をもって見ることができる時、その人は新たに生まれ始めているもう一人のラザロであり、もう一人のマルタ、マリアなのです。

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