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「失われない喜び」
先日の葬儀式において、従来の式次第にあった「終祷」をあえて「祝祷」とさせていただきました。「終祷」としてきたのはご遺族近親者、参列者に配慮してのことでしょう。相当数の教会が同様にしているようです。それでもあえて「祝」の字を用いたのは、喜びの時、平穏な時にだけ告げられるのが祝福ではなく、悲しみ、絶望の時、死の只中においてさえ揺らぐことのない「キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わり」という「祝福」があることを、最後に会衆一同共に確かめることが葬儀の要だと思うからです。

教会総会で決議した2015年度札幌北光教会のみ言葉は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい…(以下省略)」です。「いつも喜びなさい」とのみ言葉もまた、とても喜んでなどいられないような悲しい時でさえ、そこで決して失われることのない真の喜びがあることを忘れてはならない、ということです。

「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」(11節)。間もなく命奪われることを知りながら、凄惨な苦しみを目前にしながら、なお語られる主イエスの喜びとはなんでしょうか。それは「このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカ15:7)といわれているように、一匹の羊を見つけだした羊飼いの如く、「ようやくあなたに出会えた」という歓喜です。主イエスにとってこの喜びはもはや死の恐れを越えているのです。 そして、主イエスは、この喜びがご自分だけのもので終らず、枝である私たち自身の喜びとなることを願うのです。「キリスト者」とは、すなわち主イエスの喜びを、我が喜びとして生かされる人々のことです。

「わたしがあなたを選んだ」
イエスは弟子たちに言われました。「わたしはあなたを友と呼ぶ」「わたしがあなたを選んだ」。友、と呼ぶだけなら誰でもできます。そして実際、口先だけの友が少なくありません。「世の友我らを捨て去る」(讃美歌21−493)ことがあるのです。しかし、友なるイエスはその時、自らを捨て去る方として向き合っておられます。

「あなたがわたしを選んだのではない、わたしがあなたを選んだ。」この順序を主イエスは絶対に譲ろうとはなさいません。私たちの信仰は、自分で選んだものではありません。自分が選んだものならば、いつでもそれを捨て去る可能性をも持っている。事実、弟子たちはこの後、主イエスを見捨てて逃げ去ってしまうのです。しかしそんな弟子たちだからこそ、主イエスは予め彼らに伝えておく必要があったのです。「わたしがあなたを選んだのだ」。この一言が、一体何度、彼らの生きる底力となったことでしょうか。

私を選び、己を捨てて下さった、この恵みを思い上がらず、謙って聴く時、私たちは「選ばれた者」としての感謝の道、すなわち愛するという道を歩み出すものとされます。愛すること、それは木から枝へと栄養が伝わっていくことに似ています。それは教え・教わるものではなく、伝わるものです。主は私たちの内にご自身の命をもって愛を伝えて下さっています。わたしたちはその伝えられた愛を謙って受け止め、自分の生活の先端で実らせるものでありたい。ここから新たな一週へ遣わされますが、おそらく愛においてたちまちつまづくような私たちでしょう。だからこそ、そこで呼びかけられている「わたしがあなたを選んだのだ」という言葉を聞かせていただき、繰り返し、この場所へと招かれ、戻ってくる必要があります。この場所で共に十字架というぶどうの木を仰ぎ、そこで手を大きく広げながら示して下さっている愛にしっかりとつなげられている肢として、何度も何度も歩み出していきましょう。

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