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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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今日の創世記4章は、カインとアベルの物語が記されています。この物語は人類最初の殺人、しかも「兄弟殺し」という非常にショッキングな内容を中心に描かれます。カインとアベルの二人の兄弟は、成長して働けるようになると、カインは農耕を仕事とするようになり、アベルは牧畜を仕事としました。それぞれが最初に得た、土の実りと羊の初子を神に捧げようとして持ち寄ると、神はカインを無視して弟のアベルにだけ目を留めます。カインはそのことに激しく怒って顔を伏せ、その怒りからアベルを殺してしまうのです。

二人とも同じように奉献をしたのに、なぜ神はアベルを選んだのでしょうか。二人の名前が持つ意味に注目をすると、ヘブライ語でカインという名前には、「形作る・創造する・産む」という意味があるのに対し、アベルという名前は「無意味・無価値・儚い」という意味があります。つまり、神は無意味で無価値と見なされる儚いアベルをお選びになったのです。神は「弱い者を顧みる」という明確な意志を持ってアベルを選んだのですが、カインは神の御心が分からず、怒りで顔を伏せてしまいました。私たちも神の御心が分からないのです。様々な困難や受け入れがたいことに出会うたびに、そこで働いてくださる神の意思を知ることができず、顔を伏せてしまうのです。

阪神タイガースの選手で長く活躍した金本選手という選手がいました。金本選手は引退会見の時、彼の華やかに見えた野球人生も、「喜びが2割。辛いことが8割の野球人生でした。」と語っていました。正に、その通りだと思うのです。私たちが生きる日々は、喜び2割、辛いこと8割の不条理なことに包まれていて、「神はおられるのか」そう思わされる日々なのです。人に受け止めてもらえない、理解してもらえないことがあり、誰かのことを理解できず、力弱く何一つ果たしきれない自分と出会わされる日々なのです。その度、カインと同じように受け入れられず俯いてしまって、辛さの中で神を見失い、怒りや憎しみを抱いて生きるのです。

九州の教会で牧師をしている奥田知志さんという方がいます。教会の牧師をしながらホームレス支援の働きをされている方です。奥田さんは大阪の釜ヶ崎という日雇い労働者の町で、ホームレス支援を始められました。

支援の働きの中で、悲惨なできごとに幾度も、幾度も、出会わされたそうです。釜ヶ崎には労働者が人間扱いされず、ぞうきんのように使い捨てにされて死んで行く現実があったのです。その現実を目の当たりにして、奥田さんも神を見失い「神がおられるのなら、どうしてこんな現実を放置されるのか。」と思わされたそうです。しかし、ある日の礼拝で朗読される聖書を聞きながら、「もし神がいなければ、愛も希望も赦しも和解も平和も、この世界に全てがなくなってしまう。こんな現実だからこそ、この中に神がいてもらわなくては困る。だから、神を捜そう。」そう思い、奥田さんは神を再び信じられるようになったと言います。

私たちが生きる現実は厳しいのです。その厳しさの中で私たちは神を信じられなくなってしまうのです。しかし、だからこそそのような現実の中に、働いてくださる神を探して生きるのです。

不在に見える神がどのように働いておられるのか、今日の聖書の9節に記されています。カインに問いかけた神はアベルを探します。殺されたことを知らずに問いかけているのではありません。カインがアベルを既に殺してしまっていることを知っていて、問いかけてもそっぽを向かれ、「知りません。」と言われることも知っている。それでも「弟のアベルはどこにいるのか。」そう問いかけるのです。私たちが顔を伏せてしまい、神を見失って、憎しみや妬みや怒りに生きたとしても、決して私たちを手放さず立返らせるために語り続けられるということが記されているのです。

私たちは信じると決めたものも信じられない、弱く、儚い存在なのです。それでも、その私たちが弱く儚い存在だからこそ、離れてしまいそうになる私たちに問いかけてくださる神がおられるのです。力強いその神の声に導かれ、神を捜しながら歩んで行きたいと思うのです。

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