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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」。主イエスにそこまで言わしめた百人隊長の信仰とは一体どんなものだったのでしょうか。意外かもしれませんが、この物語の中でイエスと百人隊長は、結局最後まで一度も会っていません。彼は、主イエスに直接会ったことも話したこともないそんな私たちの代表者とも言えるのではないでしょうか。

彼が主イエスに会わなかったのは、徹底した一つの理由からでした。「自分のような者が主イエスをお迎えするには、あまりにも相応しくない、申し訳ない」その思いです。その姿勢を示される時、私たちが問われてきます。

私たちは一体、主なる方の前に何者であるでしょうか。「神ならばこうしてくれて当然」「自分はそうしていただくに相応しい」という思いが湧いてくるならば、この百人隊長の姿をよく思い起こすよう求められていることでしょう。

神の前の相応しさを思うならば、私たちは皆が即座に、そしていつまでも自分が相応しくない者であることを告白し続けなければなりません。教会というところは「敷居が高い」とよく言われ、教会のバリアフリー化ということが言われます。しかし、神が真に主なる神であるということを思うならば、自分には敷居が高い、申し訳がない、相応しくないと感じるのは当然のこと、そしてそれは信仰生活における大切な自覚ではないでしょうか。

札幌北光教会の礼拝堂は4階と5階です。初めて礼拝に来られる方の中には、階段を一段一段上っているうちに、「自分のような者が礼拝に出席しても良いのだろうか」「やっぱり引き返そうか」と申し訳なさ、ためらいを感じる人だっているでしょう。神様の前に集められるということは、自分という者がいかにそれに相応しくない者であるかを痛感するということでもあると思います。その意味で、教会とは確かに敷居が高いのです。しかもどこまでも高い。神と人間の隔ては、到底乗り越えられないのです。私たちが低床化しようとしてできるようなものではありません。しかし、だからこそ、その隔てを、イエス・キリストの十字架の死と復活の出来事を通して、神様の方から乗り越えてきて下さったのだということを、驚くばかりの喜びとして知ることができるのです。

パウロという人は、「弱さ」ということを強調しました。自分は全くもって弱い存在であると。私たちも時にそういうことを口に致します。「自分は弱い人間だから」「欠け多き人間だから」と少々ネガティブに。しかし、パウロのいう「弱さ」とは、「自分はただ神の恵みによってのみ生かされているのだ(神様の恵みがなければ、自分は一時も生きてなどいられない無に等しく弱い存在にほかならない)」という感謝の表現としてです。だからパウロは「自分の弱さを誇ろう」と言うのです。神様の前にどこまでも不相応で無に等しい自分に、神様の方からやってきて下さって、今日という日を恵みによって生かして下さっている、その畏れと感謝と驚きを私たちも持ち続けていたいものです。

百人隊長は、主なるイエスを前にした畏れの中で、「一言おっしゃってください!」と言いました。彼にとって主イエスの御言葉は、力であるという以上に、主ご自身であったと言って良いでしょう。主はそのみ言葉に臨在しておられる、その信頼に満ちているのです。み言葉に従っていくその先で、どうなるのかは分かりません。けれども、そのみ言葉の中に主は生きて御心を成し遂げて下さいます。そのような信頼に生きる幸いと自由を生きていくようにと、私たちも招かれています。

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