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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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教会では「神様の御用のために用いてください」という祈りをすることがあります。「用いる」という言葉は「神様に私を引き渡す」という表現に言い換えることができます。私たちの歩みとは、善い時や働き盛りの時、元気な時だけでなく、むしろ、悲しみの時であっても、力無い時であっても一生涯を通して、私を神様に引き渡していく歩みなのです。そして御言葉を軸として歩んでいくことは私たちが「神様に喜ばれる生き方」を目指して生きていくことを決心することです。人間の思いや言葉に左右されるのではなく、神の言葉を中心として見上げていくのです。

マックス・ルケ?ドという人が書いた『大切なきみ』という絵本があります。この絵本にはウィミックスという木の小人たちが登場してきます。みんなエリという一人の彫刻家によって作られて暮らしていました。人形たちは朝から晩までいつも互いにシールを付け合っていました。見た目の綺麗な人形やスポーツの得意な人形には金ピカのお星さま印シールをペタっと貼ります。逆に木がデコボコであったり、失敗をしてしまった人形には、灰色のダメ印シールが付けられました。パンチネロというウィミックスはいつも失敗ばかり。いつもダメ印をくっつけられていたのです。体中、灰色のダメ印だらけでした。そんなパンチネロの前にルシアという女の子のウィミックスが現れます。不思議なことにルシアには金ピカのシールさえ1枚もついていないのです。パンチネロはルシアを見て「ぼくも あんなふうになりたいなあ」と思いました。ルシアに相談をすると、自分たちをつくったエリに毎日会いに行けば良いというのです。

勇気を出してエリのもとを訪れたパンチネロは聞いてみました。「どうして、ルシアには何もシールがついていないの?」するとエリは優しい眼差しで答えます。「それはね 他のウィミックスの言葉よりも、 わたしの思うことのほうが もっとだいじだと あの子が決めたからなのだ。みんながどう思うか そんなことよりもね。」エリの家をでるとき、パンチネロの心に一つの変化が生まれます。「エリの言っていることは本当かもしれない。」するとパンチネロについていたダメ印シールがぽとりと一枚剥がれたのでした。

注目をして皆さんと分かち合いたいのは、パンチネロが造り主であるエリのところに行って、素晴らしいウィミックスになったのではないのです。きっとエリの言葉を信じたけれども、どこまでものろまでドジなパンチネロのままなのです。そこには私たちの姿も重なります。信仰を持っていながらも私たちはどこまでも不完全なのです。しかし一番大切なことは、パンチネロの心に起こった変化であります。彼は神様が思っていること、望んでおられるが一番大切であると気づきます。自分たちが気にするべきなのは、神様が「善い」と言ってくださる生き方を目指し、自分の弱さと欠けを抱えながら生きていくことなのです。

そんな弱さを抱えた私たちが、それでも目指していくのがイエス・キリストです。18節には「キリストも罪のためにただ一度だけ苦しまれた」とあります。これはたった一度だけという意味ではありません。むしろ揺らぐことのない、神の決定的な苦しみが、あの時示されたのです。十字架の出来事にはどんな大きなギフトがあったのか。イエス・キリストの十字架の出来事は何のためであったのか。それは、悲しんで生きていた私たちのためです。他の人の思いや言葉に傷つけられている私たちのためです。傲慢で、他人を排除してしまう私たちの弱さのためです。この世の価値観や人間関係のなかで苦しむ私たちを、神がご自分の大切な一人とされるために。どれほどあなたの命が神に喜ばれているのかを示すために、神の愛を信じ、光の子として歩んでいくためにイエス・キリストの十字架はあるのです。「私のもとに帰って来なさい」イエス・キリストの十字架の出来事は、私たちを神様の腕の中に取り戻すために、神ご自身が決断なされたのです。

神様が与えて下さっているわたしの命を愛し、隣人の命を愛しつつ、キリストの御用のために働いて参りましょう。私たちが畏れるべきは人間ではなく、神の愛なのですから。穏やかに、敬意をもって、イエス・キリストを証して参りましょう。

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