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今日の聖書は、「平地の福音」といわれるイエスのことばです。「山上の垂訓」と呼ばれるマタイによる福音書にも同じような内容のことが書かれているのですが、マタイとルカとではギリシャ語の表現が微妙に違います。マタイは、「心の貧しい人」への語りかけとして表現しているのに対して、ルカのイエスは「あなたがた」を強調して呼びかけているのです。しかも、その語順は「幸いだ、貧しい人々」というふうになっています。つまり、これは宣言なのです。

そんなギリシャ語の雰囲気を大切にして意訳してみると、イエスはこんなふうに語りかけたのです。

幸いだ、貧しいあなた。神の国はあなたのものだ

幸いだ、飢えているあなた。あなたがたは満たされる

幸いだ、今、泣いているあなた。あなたは笑うようになる

憎まれるとき、追い出されるとき、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがは幸いである。その日には喜び踊りなさい

マタイと比べて、もう一つの際だった違いは不幸も語られていることです。富んでいる人、満腹している人、笑っている人は不幸だ。そしてほめられるとき、あなたがたは不幸だと言うのです。

これは、私たちが幸福になりたいと願っていることと全く逆の事柄ではないでしょうか。なぜ、貧しいこと、飢えていること、泣いていることが幸福なのでしょうか。一方で、なぜ、富んでいること、満腹していること、笑っていることが不幸なのでしょうか。

そう思って続きを読んでいくと、笑っている人が不幸なのは、「やがて悲しみ泣くことになるから」といわれています。良いことがいつまでも続くわけはないから、やがてその人は悲しむことになるという訳です。そうすると、「塞翁が馬」のような幸福と災いの時があるという処世訓のようにも思えます。

しかし、貧しい人が幸いなのは、「やがて豊かになるから」といわれているのではないのです。その理由は「神の国があなたがたのもの」であるからです。

つまり幸福と不幸の分水嶺がここにあるということです。神の国とは、神がそこにおられるということで、それが人間の幸不幸をわけるというのです。

人間的な目で見て、幸福な状態にあるとき、私たちは神から離れてしまいます。一方、貧しさや飢えや悲しみの中で、それは人間の目から見ると非常に苦しい状況だし、哀しい状況だけれども、しかし、そういうときにこそ私たちは神を熱心に求めます。そして、私たちが神を求めるときに、神は必ず私たちに応えて下さり、私たちはここにおられると確信することができるのです。

レベッカ・ソルニットというジャーナリストが「災害とユートピア」という本を書いて「災害で既存のシステムが機能しなくなったとき、人は利他的になり創造性を発揮する。それは新しい世界や枠組みを作り上げることにつながるかもしれないし、はかなく消えてしまうかもしれない。でも一つ言えるのは、大災害というものは、人間の本質とは何かを学ぶ契機になるということだ」と言っています。確かに、阪神大震災の時も東日本大震災の時も、挨拶も交わさなかった人たちが、言葉を交わし遭い、力を出し合って、本当の隣人とはこういうものだと実感し、その心と心が共感し遭って、生きる勇気を与えていました。

それは神と人間との関係の中でも同じことが言えるのです。神の祈りが自分に向けられていることを知ることほど大きな事柄はないのです。今日も、明日も、どんな状況においても決して変わることのない神の愛をしっかりと受け止め、その確信に生きること、それが幸福なのだとルカは言っているのです。

だから、イエスは、「今、泣いているあなた。神はあなたとおられるのです。だから、あなたは幸福なのだ」と宣言するのです。

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