札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >人生に必要なただ一つのこと


今日の話は、教会では行動するより、聖書を読んでいた方が良い。あるいは忙しくするのではなく、礼拝をしていることが大事だということを主張するために引用される個所ですが、ここでイエスが言いたかったのはそんな単純な問題ではありません。

実は2つ、私たちが驚かなければならないことがあるのです。

まず、イエスがマルタの家に入られたということです。当時、ひとかどの人物が女性主人の家を訪れるということはありませんでした。当時の常識からすると、ベタニヤ村の中でイエスがあえてマルタの家に行ったことは驚きだったのでしょう。

ところが、もっと驚くべきことがあるのです。イエスの足下に座って、マリアがイエスの話を聞いていたというところです。当時の社会では男性と女性は暮らしの領域が明確に分けられていました。その中で、イエスが話をしているときに、女性が近くで、しかも一番の近くで話を聞くなんてとんでもないという状況だったのです。

私たちはこの箇所で「その話に聞き入っていた」というところに目がいってしまうのですが、ここで注目しなければならないのは、「主がこの家におられる」「主の足下に座って」のほうなのです。他の人の批判の視線を浴びても、臆することなく、主の近くに居続けるマリアの姿、そこに注目しましょう。それはマリアの決意の表れなのです。生きていくためには、イエスの言葉が必要だという決然とした思いの現れた行為だったのです。

私たちは強いこと、早いこと、うまくいくこと、それが幸福だと思って人生を生きています。しかし、私たちの日常はうまくいかないことが多いですし、悩むことが多いのです。そして流れから外れてしまった、遅れてしまったということで、孤立感や寂寥感を募らせて生きているのです。

しかし、聖書は、そこにイエスがきて下さると告げているのです。弱いところ、貧しいところ、遅いところ、うまくいかないところにきて下さるのです。

灰谷健次郎さんの作品に「だれもしらない」があります。主人公のまりこちゃんは小さいときの病気がもとで、筋肉の力がふつうの人の10分の1くらいしかなく、歩くのに何倍もの時間がかかります。まりこちゃんは、毎朝、養護学校へ行く通学バスがくるところまでのおよそ200メートルを40分もかかって歩かなければなりません。そうしたまりこちゃんを見て冷たい言葉をはく人もいます。しかし、まりこちゃんはその200メートルのあいだに、喫茶店のおねえさんとあいさつをかわし、ネコのクロと話をし、きれいな海をながめ、バン工場のいいにおいをかぎ、木にとまっているハチをながめ、マツバボタンにふれながら歩くのです。たった200メートルしか歩かないのに、たくさんの人や自然と話をすることができるのです。

人生の中で、転んでしまったとき、レールから外れてしまったと思うとき、実は、その時間というのがとても大切なもので、その時、今まで見えていなかったいろいろなことが見えてくるのです。そして、その中に共にいて下さるイエスを発見すること、どんな時も、「私が一緒にいるよ」と語りかけて下さるイエスを見ること、それは人生のすべてを変えてしまうような出来事なのです。

イエスは私たちに呼び掛けているのです。「必要なものは多くない。否、一つだけである。わたしのもとに来なさい

前のページに戻る

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について