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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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棕櫚の主日に与えられた御言葉は、イエスが殺される前日の出来事です。イエスと弟子たちは最後の晩餐をした後、一旦エルサレムの町をでて、オリーブ山へと向かっていきます。ちょうどエルサレムの町を眺めることのできる、ゲツセマネに辿り着くと、イエスは3人の弟子だけを連れて少し奥の方に進んでいかれました。そこでイエスは言うのです。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず目を覚ましていなさい」。その時のイエスはひどく恐れてもだえていたと言います。つまり、十字架によって殺されることを恐れていました。弟子たちも「ついに、十字架によって殺される時が近づいてきたのか」と気がついたはずです。イエスはこれから十字架の道を辿ろうとしていました。神が定めた「時」が刻一刻と迫る中で、十字架への恐怖は増していくのです。イエスは地面にひれ伏すような形で、祈りを捧げます。辺りはまっ暗でした。シーンっと静まり返っていたでしょう。

イエスは、これから歩もうとしている、十字架によって殺されるという運命を自分から取り除いてほしい、何か他に方法はないものかと祈りを捧げます。今から自分が歩もうとしている十字架への道に、神の計画が働くのだろうか。惨たらしいまでの暴力を本当に受けなければならないのだろうかと祈りつつ、イエスは葛藤していました。そして、十字架に恐れおののきつつも、祈りの中に、これから自分が受ける苦しみのなかに、神の御心が働かれるように求めるのです。必死に祈っていたでしょう。神に何度も祈って、祈って、祈って‥。そしてイエス?キリストは神の沈黙を聴くのです。

イエスが祈りを捧げている間、弟子たちは眠っていました。3度もイエスから起こされるのです。弟子たちは、何か大変なことが起こるということを知りつつも、イエスのことを思って目を覚ましていることができませんでした。弱くて、情けなくて、信仰の弱い弟子たちがゲツセマネで必死に祈るイエスの側にいました。

この後にイエスは「立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者がきた」と言われます。先ほどまでの弱々しいイエスが嘘のように、自分の足で、自ら敵の方へ向かっていきます。そして、その敵陣のなかには、自分が愛してやまないイスカリオテのユダの姿があるのです。イエスは一人ぼっちです。たった一人で十字架への道を歩み出そうとしているように思えてなりません。しかし、この最後に語られるイエスの言葉を思い起こしてみてください。「あなたがたは眠っている、休んでいる、もうこれでいい」「もうこれでいいのだ」とイエスは言いました。この言葉は、弟子たちに対して呆れ、怒りに満ちた言葉ではないのです。なぜなら、この言葉のすぐ後に、イエスは弟子たちに「さあ、私と一緒に行こう!」と告げるのです。

「さあ、行こう」というイエスの言葉は、弟子たちがこれから自分を見捨てることを分かっていて言った言葉です。弱くて、祈っていることができなくて、自分勝手で、簡単に人を裏切ってしまう、そんなどうしようもないあなたのままで、「共に行こう」と言うのです。あなた方でも、神の計画の内に加えられているのだから、私と共に十字架への道を歩もうではないか。イエスは私たちに、弱さや破れや、悲しみを抱えたままで「さあ、共に行こう」と言って下さいます。人間が持つ、大切な人を裏切ってしまう残虐さや、欲望や、傲慢を知った上で、私たちに神のもとに留まっていることを求め、この世の命を絶つ時まで、神の愛を示すのです。そのままのあなたで、私に着いてきなさい。移ろいやすい心を持つ私たちをも、神は必要としてくださるのです。神は愛して下さっているのです。ゲツセマネでの出来事は、神がイエスを通して示そうとされた、私たちの愛への証しです。イエスの切なる祈りを神は沈黙という形で応えられました。その神の沈黙を受け入れて、十字架の道を歩みだすのです。「さあ、共に行こうではないか」十字架という苦しみを前にしても、イエスはありのままの私たちを呼んでくださっているのです。

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