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>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >癒やされた彼女たち


今日、私たちに語られました聖書の箇所は、二人の女性が主イエスによって癒されたというお話です。

主イエスがヨハネの弟子たちと話をしていると、ある指導者がそばに来て、ひれ伏して言いました。「私の娘がたったいま死にました。でも、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば生き返るでしょう。」と。この指導者は、どのような気持だったのでしょうか。すでに死んでいるにも関わらず、助けて欲しいと懇願するのです。娘が亡くなった原因は、何であったのでしょうか。病気だったのか、それとも事故だったのか。とにかく、この指導者の娘は、すでに死んでしまった。もう、どうにもできない絶望的な状況です。このようなどうしようもない現実の中、主イエスは、すぐに立ち上がり、そして、彼について行かれたと記されています。ついていく、というと、普通は私たちが主イエスに従い、ついていく、ことだと思います。しかし、ここでは、主イエスがついてきてくださるのです。いつも前にでて導くだけでなく、辛く悲しいときに、後ろからそっとついて来てくださる。この指導者の父親が直面している死の現実を、主イエスも一緒にそこに立会いながら、受け止めてくださるのです。そこに一人の女性が現れます。12年間も出血が続いている女性が病気を治してほしいと主イエスに近づいて、服の房に触ったのです。自分は汚れたものとされていた彼女が、勇気を振り絞って、主イエスの服の房に触れる。本当は触れてはいけない、けれども、それでも目の前にいらっしゃる主イエスにほんのほんの少しでも近づいて触らせていただきたい。どんなことを言われても、どんなことが起ころうと、その絶望の只中で、その房に触ろうと思ったことでしょう。すると、主イエスはなんと振り向いてくださったのです。振り向いて彼女を見たのです。マルコやルカでは、「誰が触ったのか、」と主イエスは尋ねたとありますが、マタイ福音書では、尋ねることなく、振り向いてしっかりと彼女を認識し、見たのです。きっとそうだったろうと思います。必死に主イエスを求めた彼女を主イエスはしっかりと、あぁ、この娘さんだな、と分かって見てくださった。その暖かなまなざし、そして、「娘よ、元気になりなさい。」と言葉を掛けてくださったのだと思います。

父親と、イエスの服の房に触った彼女、二人にはいくつかの共通点があります。まず絶望的な状況だったこと。今まで元気いっぱい、可愛い、12歳という希望あふれる娘が死んでしまった。もう一人の彼女は、12年間も出血し、医者もお手上げだった。財産もなく、助けてくれる人もいない。お先真っ暗というような、状況。マタイ福音書はそのことをよく書き現していると思います。けれども二人には、普通であるならばもうあきらめてしまうほどの状況であるにも関わらず、決してあきらめなかったのでした。主イエスに近づいたら、何とかしてくれるという信頼がありました。それを主イエスは見逃すことはなさらなかったのです。

私たちの日常にも、絶望的な出来事、希望を見出すことのできないようなことがらが起こります。それでも主イエスを見つけ出して、主イエスに近づいて、最後まであvきらめずに求めていく信仰を持ち続けたいと思います。そこに救いがあり、元気になりなさいと声をかけてくださる方がいるということを私たちは信じ、望みをもって生きていくことのできる幸いを感謝するものでありたいと思います。

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