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貧しい人が幸いであり、飢えている人が幸いであり、泣いている人が幸いでなのだと人々に語りかけたイエスは、今日の箇所でさらに驚くべきことを告げます。

「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」

おそらくもっとも知られているのがこのことばでしょう。

しかし、本来、愛せないから「敵」なのであり、この言葉は論理矛盾を持っています。しかもイエスは観念論としての博愛を説いたわけではありません。これは聞いている人々に対する具体的な生活の中の勧めなのです。だから敵の姿も具体的に書かれています。憎むもの、悪口を言うもの、侮辱するもの、頬を打つもの、上着を奪うもの…と書かれています。ローマ帝国の属国の民であったイスラエルの民は、これらの言葉は生活の中での実経験が反映されていたに違いありません。目の前に、「敵」「許せない人」がいるのです。

私たちの人生には必ずそういう人が登場します。これらのことばを聞きながら、具体的な「許せない人」の顔が思い浮かぶのではないでしょうか。そして、許せない人と出会ったときの対処方法を考えてみると、「戦う」「無視する」「距離を保つ」「憐れむ」など、いろいろな手段が思い浮かぶのですが、イエスが言っているのは、うまく対処しなさいということではなくて「愛しなさい」なのです。

もちろん私たちも決して愛のない人間ではありませんので、相手を愛することを知っているし、実践もしています。子どもを愛する愛、家族を愛する愛、友人を愛する愛、同僚を愛する愛…しかし、考えてみると私たちの愛は愛されたから愛する愛である。いわば見返りの見込める愛なのです。

イエスは見返りがあるなら、愛だって、善行だって、寄付だって(あなたたちが)「罪人」(と呼んで軽蔑している人たち)でもしていると言うのです。善行だって、寄付だって、「罪人」と言ってユダヤ人たちが軽蔑している徴税人も、自分を愛するものには愛しているではないかと言うのです。見返りがあるなら、愛しているではないかと言うのです。

イエスが言うのは、そんなことではなくて、あなたの生活の中に具体的に存在する「許せない敵」を具体的に愛しなさいということです。たとえば、憎むものに親切にし、悪口を言うものに祝福を祈り、侮辱するもののために祈る。頬を打つものに他の頬を向け、求めるものには与えなさいというのです。

それは苦しくてもただ「忍耐している」だけではないかと思いますが、それは違うのです。弱いから抵抗しないのと、敵を愛するのとは全く違うのです。

やがて、この言葉が絵空事でなかったということを人々は経験します。

敵を愛せと語ったその人は、自ら、自分を裏切ったものを許すために十字架へ向かうのです。そして、人間の憎悪と侮蔑が火だるまのように彼に襲いかかり、虚偽と悪意で固めて、彼を十字架上で虐殺しようとしたとき、その苦しみの局地において、その孤独の極みにおいて、イエス・キリストはなんと言われたのでしょうか。

「父よ彼らをお許しください。彼らは何をしているのかわからずにいるのです」

イエスは彼を滅ぼそうとする悪意を全身に受けながら、その相手を受容し、包み、許し、愛し抜くことで、その人間に新しい希望と生命を与えたのです。敵を愛することによって、人間に新しい生き方を示したのです。

私たちが、敵を愛せるとしたら、それは敵であった私を愛してくださった方と出会った時なのです。私たちの現実はとても敵を愛せないのです。しかし、もし私たちが敵を愛することに向かって歩めるとしたら、それは私の力ではなく、ただ神の愛の力によるのです。私の愚かさを許してくださる神の愛をしっかりと保ち、新しい一週間へと歩み出しましょう。

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