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ペンテコステ、聖霊降臨日を迎えました。ペンテコステは教会が宣教を開始した日で、教会の誕生記念日という人もいます。けれども、私たちはこの日に何を記念しているのかを、今日はペトロの生涯を通して考えたいと思うのです。

ヨセフスは、ガリラヤについて「彼らは改革や変化を好み、また気短かで喧嘩好きだ」と書いていますが、聖書によると、ペトロも行動的で、感激家で直情的な人でした。彼の容姿を記した貴重な記録には「彼はほっそりとした身体で、その皮膚は青白く、あご髭がカールしていた」と書かれています。

さて、そのペトロがイエスと出会います。この出会いについては3種類の記事が福音書に記されています。これらの共通点を見て行きますと、イエスとペトロの出会いについてペトロの方からイエスを求めたのではなく、イエスがペトロを招いたということです。そしてもう一つわたしが大切だと思うのは、イエスの眼差しです。イエスはペトロを見つめながら召したのです。

聖書に登場するペトロは実に人間臭い失敗をします。間違うペトロ、溺れるペトロ、居眠りするペトロ、飛び込むペトロ…もちろん弟子集団の指導的な働きとか、教会の大黒柱としてのペトロについても記されていますが、ペトロの人生は失敗と成功との間を激しく揺り動く人生であったと言えるでしょう。

そして、最後に決定的な失敗を致します。それは最後の晩にイエスを3度否認するという事件です。イエスが十字架につけられるために逮捕されたとき、イエスの弟子達はイエスを残して四散しました。ペトロも一旦は逃げるのですが、引き返し、連行されるイエスの後をそっとついていきます。大祭司の中庭までいったとき、「おまえはイエスの仲間だろう」と指摘されるのです。彼は大声で三度も「私はイエスなど知らない」と叫んでしまうのです。

これはイエスへの裏切りであり、同時に自分の人生の否定でありました。いっさいの否定だったのです。

彼が絶望の縁にいることを自覚したとき、そして自分の力ではそこから立ち上がることができないということを知ったとき、自分に注がれている視線を感じます。落ちるところまで落ちたと考えているペトロに、イエスは出会いの時と同じ期待、同じ思いをもって見つめていたのです。ペトロは自分の惨めさに、そしてそんな惨めな自分をなお愛して下さるイエスの愛に、大声で泣いたと記されています。

そのペトロのところに復活したイエスが訪ねてきます。イエスはペトロに三度聞きました。「あなたは、わたしを愛するか」ペトロは復活のイエスと出会って新しいいのちを生きる決意をします。それはイエスを愛す人生です。どんなことがあっても、どんな状況の中でも、イエスを愛して生きていく決意をします。

そしてペンテコステの日を迎えました。ペトロたちが集まって祈っていると、彼らはことばには言い表すことのできない大きな力を感じたのです。その力とは神が共にいて下さるという確信でした。そしてその神が、表に出て、イエスのことを宣べ伝えよと語りかけるのです。ペトロは立ち上がります。今こそ、イエスを愛するために自分の人生を生きる、そしてたとえそのために命を捨てることになっても、イエスを愛する生きざまを貫くのだと。そう決心し、そう確信して、彼は表に飛び出しました。そして、人々に向かって「あなたがたが十字架にかけたあのイエスこそ、わたしたちの救い主なのです」と語りはじめたのです。

臆病だったペトロが、ペンテコステの日に語り出したのです。神が共にいて下さる、その確信こそ、聖霊のもたらすもっとも大きな賜物です。そして、その確信を持つならば、わたしたちは自分の弱さも、自分の貧しさも、そして社会も人も、何も恐れず自分の与えられた人生を生きることができるのです。聖霊に満たされましょう。そして恐れなくわたしたちの人生を歩もうではありませんか。

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