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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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マタイによる福音書(新共同訳)中、「あなたがたと共に」とのイエスの言葉は3度出てきます。一度目は17章17節。それは大変厳しい言葉です。病で苦しむ子どもを前に、何一つ為し得ず終始うろたえていた弟子たちに言いました。「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしは<あなたがたと共に>いられようか」。イエスは、弟子たちの心に、主に対するからし種一粒の信頼がないことを叱責しました。イエスに従ってきたはずなのに、依然として己の力と知恵を頼みとし、結果何も為しえずにあたふたするばかりの弟子たちでした。しかし、イエスはそんな彼らを突き放し拒絶するために、そう叱責したのではありません。そもそもイエス自身が選び出した弟子たちなのです。「いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか!」この言葉の中には、あなたがたと共にいたい、というイエスの切なる願いが込められているのではないでしょうか。

二度目は26章29節。主の晩餐の席での言葉です。イエスはパンを裂き、杯を弟子たちに手渡して「これは罪が赦されるように、多くの人のために流される私の血、契約の血である。言っておくが、わたしの父の国で、あなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」と言いました。いわばイエスの「禁酒宣言」です。はっきり宣言したのです「天国で<あなたたちと共に>飲むその日まで、ぶどう酒は決して飲まない!」つまり、それほどまでに弟子たちと天国で杯を交わす祝宴の時を心待ちにしているのです。それほど愛され招待されている弟子たちは、頑なで無理解で信仰薄く、慌ててばかりいる者たちです。しかし、そんな彼らがイエスにとっては天の祝宴になくてはならない大切な存在でした。同じくわたしたちもまた、この祝宴に招かれている一人です。  三度目が本日の箇所。復活のイエスは、弟子たちを「予め指示していた」ガリラヤの山へと呼び集めました。きっとそこは弟子たちが「あの場所か!」と思い出せた場所です。皆さんにとって、その山とはきっとこの札幌北光教会のことです。私たちは偶然ではなく、復活の主イエスに示され、「ここで会おう」と呼び集められているのです。

イエスは彼らに宣言しました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。もう少し正確に言えば、「見よ、あらゆる日々に、わたしはあなたがたと共にいる」そう呼びかけている言葉です。私たちの昨日も今日も明日も、ただこの事実に支えられています。

イエスに再会した弟子の中に「疑う者」がいました。「疑う」は「ためらう」とも訳せます。ためらいながらイエスの前にひれ伏している弟子。「主を見捨てて逃げ出してしまった自分が、今さら弟子の顔をして、御前に行って良いのだろうか…」との躊躇です。しかし、イエスはそんな彼らに、弟子としての失格ではなく、むしろ始まりを告げてくれました(19、20節)。顔を伏せている弟子たちに、「見よ」と、顔を上げさせるのです。弟子として死んでしまっていた彼らが、再び息を吹き返して主イエスと共に新たに歩み出して行く、そんな弟子たちの復活物語です。この時、彼らがどんな顔つき、足取りで、この山の上から遣わされていったか。その後ろ姿をマタイ福音書は描きません。その姿は、他でもなく今この礼拝堂から遣わされていく、皆さん一人一人の姿だからです。

見よ、あらゆる日々に、主は共におられる。この約束は、聖霊降臨の出来事につながっています。「主は、今日も明日も、生きておられる」空っぽの墓で告げられた復活の知らせを、希望の知らせを証ししていきましょう。

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