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「神が創造した最大の雇用創出者」アメリカ新大統領は、連日「We will make America great again!」とスローガンを繰り返し口にしています。都エルサレムへと来られたイエスを熱狂的に歓迎した群衆もまた、それに似た期待を抱いていたのです。この方が、再びイスラエルに偉大な国を社会を興して下さる。主イエスは子ロバにのってやって来られました。

しかし、主イエスが、この都で最初にされたことは、民衆にとって全く目を疑うものでした。神殿の境内で、売り買いをしていた人々を追い出し、両替商の台、鳩売っている者の腰掛けを倒し、大暴れしたのです。そして、主イエスは言われました。「わたしの家は祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたがたちはそれを強盗の巣にしている。」

鳩売りは、遠方から巡礼にきた人々が神殿で捧げる傷のない鳩を売っていたのであり、また両替商は、神殿に捧げるべきユダヤの貨幣に換金していたのであり、それは巡礼者にとって必要な存在であったのです。それらを容赦なく蹴り倒すイエス。どうしてそこまで厳しい態度で迫られたのでしょうか。

主イエスが問題としたのは、この神殿において、本当の祈りというものがなかったということです。鳩や献金をうやうやしく捧げている人々の心が、実際には神から遠く離れてしまっていたということ、そして、神殿の絶対的権威を借りて驕り高ぶっていた祭司たちの堕落した実態があったということが言えるでしょう。もはや神殿が、祭儀が形骸化してしまっている、神の栄光をかすめとって、己の栄光のために生きている。本来それらすべての源である神に、お返しすること、お委ねすることを忘れて、気付かない内に自分が神になりあがってしまっている。そのような打算に満ちた現実を主は「強盗だ」と言われるのです。

「私の家は祈りの家と呼ばれるべきである」。この言葉は、旧約聖書イザヤ書56章の引用です。バビロン捕囚の中で告げられた希望の言葉でした。異国の地に囚われ、民族の土台である神殿が破壊され、その絶望の中で、神は、わたしは祈りの家にあなたがたを一つに集めると約束して下さったのでした。「追い散らされたイスラエルを集める方、主なる神は言われる。既に集められた者に、更に加えて集めよう」と。たとえ、異邦人であろうとも、あるいは去勢された宦官(割礼を受けられないもの)であったとしても、主に仕え、主を愛し、安息日をまもり、主とのつながりに生きるならば、わたしの祈りの家の喜びの祝いに連なることを許すと。「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる」、そのように告げて、神は彼らの神であることを望まれたのです。

やがて、捕囚から解放された後に、祈りの家としての神殿は再建されました。ところが、民はこの神殿で、神を神として信頼することを忘れ、神が自分たちを愛し選んでくださった恵みを、特権であるかのように振りかざし、異邦人や病める人を裁いていたのです。神の名を妄りに利用し、神の思いとかけ離れてしまった、その姿を主イエスは、激しく問われたのでした(マタイ福音書の記された時には、神殿はもはや崩壊していたのでした)。

この後、物語は印象的な展開を見せます。主イエスが、人々を皆追い出したはずの神殿の境内に、目の見えない人や足の不自由な人たち、そしてこどもたちがいたのです。旧約聖書には、「目や足の不自由な者は神殿に入ってはならない」と記されています。神殿に入ることのできない「部外者」の彼らは、当然、両替も鳩を買うこともありませんでした。しかし、排除されてきたそのような人々存在が、ここで浮き彫りにされたのです。そして、ここに神殿の姿が示されているのです。すべてのものが「祈りの家」の喜びの祝いに連なるものとして招かれています。すべての者が、国も力も栄光もお返しし、重荷を破れを嘆きを、まるごと主の愛の中に身を置いて生かされていく、そのような神と人との関係へと呼ばれています。それが神殿の姿、教会の姿なのです。

主イエスは、「この神殿を壊してみよ、三日で建て直して見せる」(ヨハネ2:19)と言い、神殿冒涜の罪を問われました。十字架上で苦しむイエスに、人々は言いました。「おやおや、神殿を打倒し、三日で建てるもの。十字架から降りて自分を救ってみろ」(マルコ15:29)。しかし、主イエスが言われる三日で再建される神殿とは、ご自分の復活の体のことでした。教会は、イエス・キリストの体です。この方の命に結ばれて、人と人とが互いに神に愛され、赦された神の子としての自分を回復していく。そして祈りをもって共に神に顔を上げ向き合って生きる群れとなっていく。その喜びへと、神は「めん鳥が雛を羽の下に集めるように」(マタイ23:37)、呼び集めてくださっているのです。

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