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今日与えられたイザヤ書2章以下の箇所が書かれた時代背景を振り返りたいと思います。当時のイスラエルは、アッシリアとの争いの中にありました。イスラエルは闘いに敗れ、町や村は破壊され、ある者は殺され、ある者は拉致されてしまった。人々は現在にも、未来にも、辛くて苦しくて希望が見えない時代を生きていました。普通このような状況に置かれた時、人の口からは嘆きと悲しみの言葉、失意と諦めの言葉が出てくるでしょう。神を呪い、自らの人生を呪うような言葉が出てくるのです。けれども、ユダヤには預言者と呼ばれる人々がいました。彼らは、その時自分たちが置かれた時代や社会状況から授かった言葉を語るのではなく、自らの内面や心の内からあふれ出る言葉、つまり人の言葉を語るのでもありません。預言者は神から授かった言葉を語るのです。

今日のところでは、厳しく過酷な時代にイザヤが神さまから授かった神の言葉、神の幻やビジョンと言ってもいい。そのような言葉が記されているのです。イザヤは希望に満ちた将来の展望をここで語っています。しかし、これは人々に全くと言っていいほど受け入れられませんでした。支配や蹂躙、捕囚の中で、人々は「何を的外れなことを言っているのだ。状況や現実を見たらそんな希望は語れないはずだ。」そんな反応を示したのです。当然のように思えます。しかし、大多数がそういった反応を示す中、このイザヤの言葉を受け入れて、この言葉の指し示す方向へと生きた少数の人々がいたのです。彼らによって、廃墟となったイスラエルの復興が始まっていきます。彼らによって新しい時代が切り拓かれていくのです。旧約から新約、イエス・キリストの福音への道が開かれていく時に、イザヤに勝るとも劣らず偉大なのは、この与えられたビジョンを実際に生きていった有名無名の人々だったのです。

今日の私たちの置かれた状況を改めて考えてみますと、特に北海道の私たちは厳しい時代を生きているのではないでしょうか。多くのクリスチャンは嘆きや絶望や失意の言葉をついつい語ってしまいます。私もつい「こんな状況で、どこに希望があるのか」と語ってしまうのです。ですが、その私たちの中にも、希望の言葉を語る人がいます。状況、自らの心、そういった根拠ではなく、神や聖書に根拠を置いた希望の言葉を語る人がいるのです。今日は、私が最近聞いた希望の言葉をご紹介したいと思います。

「社会が縮小傾向にあるからといって、自動的に教会が縮小するとは限らないのです。むしろ教会に託されている神からの宣教の使命を考えるなら、社会が縮小傾向にあるからこそ、教会は活動を豊かにしていかなければなりません。宣教は、小さくされたものに対する神の愛の証であるからです。・・・(中略)・・・

地方にある小規模教会、あるいは無牧師となった教会の礼拝が守られる。ただ守られるだけではなくて、その教会の礼拝が豊かな力を持った礼拝として行っていけるか、それが北海教区のこの10年の課題となります。」

これは、今年度北海教区総会で承認された、第4次長期宣教計画の言葉です。私はこの言葉に先ほどのイザヤ書2章と同じ響きを感じるのです。もちろん聖書の言葉ではありません。神の言葉ではありませんが、北海教区総会というイエス・キリストの名による会議によって協議され承認された、教会の、教区の言葉なのです。地方に身を置く私たちは、この言葉があるならばやっていこう、そういう思いを与えられる希望の言葉なのです。

北光教会と置戸教会が宣教協力体制を取るようになって3年目を迎えました。最近置戸教会の礼拝から、これまで感じられなかった力や勢いや豊かさを感じることがあるのです。牧師はいない、信徒も5〜6人、置戸教会はそれでも、今本当に生きている、生かされている、豊かな礼拝を行っている。最近そういった感覚を頻繁に感じます。思い返すと約1年前、去年のオルガンコンサートの頃から、置戸教会の雰囲気が変わってきたのです。イベントが変えたのかというとそうではありません。イベント自体にそのような力はないでしょう。置戸教会に力を与えてくれたのは繋がりだと思うのです。このオルガンコンサートを一緒に創り上げていく中で、置戸と北光の繋がりが、関係性が確立されていったのです。置戸教会には北光臭さを感じる時があります。北光の香を感じることがある。北光教会はどうでしょうか。どこかで置戸臭さはないでしょうか。双方でそのような香を感じることがあれば、素晴らしいことだと思うのです。「神の国は見える形では来ない。実に神の国は、あなたがたの間にあるのだ」イエス・キリストはそのように、私たちの関係性の間に神の国が宿ると語られたからです。

学生時代マルクス経済学を学びました。唯物論の基本に、「存在は意識に先行する。」という言葉があります。意識が存在に先行するのではなく、逆に、存在によって意識が規定されるというのです。平たく言うのであれば、どういう仕事をして、何を食べて、誰とつきあって、休みをどう過ごしているか。そういう日々の姿によって、その人の思想や信条や哲学が決まってしまうのだ、ということです。本当にその通りだと思います。

これをもじって言うならば、「連帯は、信仰に先行する」ということができるのではないでしょうか。信仰が連帯に先行するのではなく、逆に連帯が信仰を規定していく。誰と繋がり、誰と交わって、どういう関係を築いて生きていくのか、これによって、教会、教区、教団の形成が決まっていくのです。

連帯は信仰に先行するというスタンスが地方教会の生き残りの道です。要となるのは関係性です。私たちは置かれたところに身を置き続けていれば、置かれたところで連帯しつつ咲けば良いのです。札幌、置戸、北見、それぞれが置かれたところでしっかりと根を張り、繋がりと関係性を大事にしていけば良い。固有の花を、私たちが互いに咲かせて行きたいと願うのです。

 (文責:筆者)

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